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精神科医芳賀のバカ発言に決着!

精神科医 芳賀高浩

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精神科医芳賀のバカ発言に決着!

15 996 просмотров · 21 ч назад
精神科医 芳賀高浩
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こんばんは。精神科医の芳賀高浩です。 今日は、私が人を「バカ」と表現した件について、最終的に自分の中で結論が出ましたので、お話ししたいと思います。 何度もしつこいと思われるかもしれません。自分の好感度が下がるような話を、わざわざ繰り返す必要もないのでしょう。しかし、これは私自身の思考を整理し、納得するために必要なことなのです。興味のない方、不快に感じられる方は、無理にご覧いただく必要はありません。 まず、今回の経緯から説明します。 そもそものきっかけは、ある視聴者の方からいただいたお手紙でした。その方は、学力がそれほど高くない大学で教員をされているそうです。そうした大学では、知的な問題や精神的な問題、さまざまな困難を抱える学生も広く受け入れています。 そのような学生たちと一生懸命向き合ってきた立場からすると、精神科の専門家が「こういう患者さんは診られません」「こういう患者さんは診たくありません」と、患者さんを選別するような発言をすることは、心情的に受け入れられないという内容でした。 もちろん、実際には医療機関の能力や体制によって、診療できない患者さんがいることも理解できる。しかし、だからといって「誰でも診る」という建前や看板まで外してしまってはいけない。その理念を失ってしまうと、どれほど現場で努力していても、その取り組み自体が違った意味に受け取られてしまう。 そういう、とても大切なことを指摘してくださったお手紙だったのです。 ところが、そこで空気の読めない私は、余計な疑問を口にしてしまいました。 「大学というのは、そもそも頭のいい人が行くところではなかったのか」 「なぜ、いわゆるFラン大学のように、学力が非常に低い大学が存在するのか」 さらに、日東駒専という大学群の名前を出し、それより下の大学について、頭があまりよくないといった趣旨の話までしてしまいました。ちなみに私は、MARCHよりも日東駒専という言葉の響きが好きで、つい口にしてしまうところがあります。 その後、私は動画を公開し、「バカという言葉を使ってはいるけれど、相手を見下しているわけではない」と説明しました。 私にとって「バカ」という言葉は、必ずしも悪意を込めた表現ではありません。頭が悪いということを、そのまま「バカ」と表現しているだけで、だからといって、その人に生きる価値がないとか、人格的に劣っているとか、そういうことを言いたいわけではないのです。 しかし、今日一日、私はこの問題について考え続けていました。皆さんからいただいたコメントも読み、その中で気づかされたことや、納得できたことがいくつもありました。 そして、ようやく自分の中で一つの結論にたどり着きました。 そのきっかけになったのは、中学・高校時代の友人のことを思い出したことでした。 私は中高一貫校に通っていたのですが、当時、仲のよい友人の一人に、口癖のように「死ね」と言う人がいたのです。 何か気に入らないことがあると、すぐに「死ね」と言う。 私は、それがものすごく嫌でした。 その友人は決して悪い人間ではありませんでしたし、私とも仲がよかった。実際に私に死んでほしいと思っていたわけでもありません。ただ、何か気に入らないことがあったとき、その感情を「死ね」という言葉で表現していただけなのです。 それでも私は、言われるたびに本当に嫌な気持ちになりました。 30年近くたった今でも、そのことを思い出すと嫌な気分になります。それくらい、私にとって「死ね」という言葉は、生理的に受け入れられない言葉なのです。 ここで、ようやく気づいたことがあります。 言葉には、発した本人の意図とは関係なく、言葉そのものが持つ力があるということです。 友人には悪気がなかった。実際に私を傷つけようとしていたわけでもなかった。しかし、「死ね」という言葉自体が、私にとって非常に不快なものだったのです。 これは「バカ」という言葉についても、まったく同じことが言えるのではないでしょうか。 私は日常的に「バカだな」「バカじゃないの」といった言葉を使ってしまいます。 相手を見下しているわけではない。悪意があるわけでもない。だから、それほど問題ではないだろうと考えていました。 私の中には、自然に出てくる言葉であっても、世間一般では使わない方がよいとされる表現がいくつかあります。 そうした言葉を一つひとつ意識して避けることにエネルギーを使うより、思ったことを自然に話して、悪気がないことを理解してもらえばよい。これまでは、そんな姿勢で動画を作ってきました。 しかし、私のYouTubeチャンネルも少しずつ大きくなり、現在では登録者が9万人ほどになりました。 登録者が900人、9000人だった頃とは、状況が違ってきています。 もちろん、私は今でも零細な一人の精神科医YouTuberですが、動画の再生回数が1万回ほどになれば、それだけ多くの人がご覧になるわけです。 チャンネルが小さかった頃は、私の考え方や話し方を理解し、好意的に受け止めてくれる方が中心だったのかもしれません。 しかし、今はいろいろな価値観や感覚を持つ方が見てくださっています。 その中には、「バカ」という言葉を聞くだけで、非常に嫌な気持ちになる方もいらっしゃるはずです。 私が「死ね」と言われることに強い不快感を覚えるのと同じように、「バカ」という言葉そのものが耐えられない方もいるのだと思います。 コメントの中には、「先生自身がバカと言われたら、どういう気持ちになるか考えてみてください」というものもありました。 ただ、私は「バカ」と言われても、それほど嫌ではないのです。だから、その説明だけでは、どうしても腑に落ちませんでした。 しかし、「死ね」と言われたときの自分の気持ちを思い出したことで、ようやく理解できました。 私が「死ね」という言葉を受け入れられないのと同じように、「バカ」という言葉を受け入れられない人がいる。 そこには、必ずしもコンプレックスやトラウマがあるわけではありません。 私自身、親から日常的に「死ね」と言われて育ったわけでもありませんし、その言葉について特別なトラウマがあるわけでもありません。 ただ、その言葉が嫌なのです。 どんな意図で使われたのか、相手が本当はどういう人間なのか、そういうこととは関係なく、聞くだけで嫌な気持ちになる。 たとえもともと好きだった相手でも、そういう言葉を頻繁に使われると、少し距離を置きたくなるものです。 私の「バカ」という発言についても、同じように感じた方がいらっしゃったのではないでしょうか。 今回の件では、思っていたほどチャンネル登録者数は減りませんでした。 皆さんが寛大だったのかもしれませんし、それでも私のチャンネルに価値を感じてくださったのかもしれません。単に登録解除を忘れているだけなのかもしれませんが、それはわかりません。 ただ、昨日までの私は、心のどこかで「悪気がないのだから、大目に見てほしい」と考えていました。 不快に思われた方には申し訳ないと口では言いながらも、「でも悪気がないのだから、いいじゃないか」という気持ちが残っていたのです。 今は、その考え方が間違っていたと感じています。 悪気がなかったとしても、言葉によって人を傷つけることはある。そして、相手に与えた不快感は、発言した側の意図だけでは解消できないのです。 私は「バカ」という言葉を使いがちですが、ほかにも「チビ」「デブ」「ハゲ」「ブサイク」といった表現を、軽い気持ちで口にしてしまうことがあります。 こうした言葉についても、私自身は深い意味を込めずに使っていることがありますが、聞く人によっては非常に不快なものなのでしょう。 そして、そうした言葉を聞いて不快になることに、何か特別な理由が必要なわけでもありません。 ただ嫌だ。それだけで十分なのです。 ですから、今後はこうした表現を、できる限り控えていこうと思っています。 もちろん、私は話し始めると調子に乗って、ついペラペラと余計なことまで口にしてしまう人間です。長年の話し方の癖でもありますから、すぐに完全に直せるかどうかはわかりません。 それでも、人を傷つけたり、不快にさせたりすることは、決して私の本意ではありません。 もし今後、私がそうした言葉を使っていたら、ぜひ指摘していただければと思います。 チャンネルが大きくなり、多くの方に見ていただけるようになった以上、私自身も少しずつ変わり、ブラッシュアップしていく必要があるのでしょう。 自分の好きなように発信を続けたいという気持ちはあります。しかし、そのことと、人を不必要に傷つけないよう配慮することは、両立させなければならないと思います。 実は、こうしたことが、私はずっとわかっていませんでした。 精神科医であるにもかかわらず、相手がなぜ不快になるのか、なかなか理解できなかったのです。 今日、この問題について妻といろいろ話をしました。妻は壁打ちの相手として非常に優秀で、話をしているうちに、自分の考えが整理されていきました。 妻が直接答えを教えてくれたというよりも、話している中で、自然に自分自身で気づいたのです。 「そうか。自分は『死ね』と言われることが、あれほど嫌だったんだ。だったら、自分が『バカ』と言ったことで、同じくらい嫌な思いをした人がいるのかもしれない」 そう考えたときに、初めて心から納得できました。 これまでは、悪気がないことを一生懸命説明していました。しかし、問題はそこではなかったのです。 私に悪気があったかどうかではなく、その言葉を聞いた人がどう感じるか。それを考える必要があったのだと思います。 だからこそ、今は本当に申し訳なかったと感じています。 昨日の謝罪とは違います。今は、心から申し訳なかったと思っています。 不快な思いをされた皆さん、本当に申し訳ありませんでした。 これからも、自分らしさは大切にしながら、皆さんに安心して見ていただけるような発信を心がけていきたいと思います。 ということで、精神科医の芳賀高浩でした。 明日も必ず19時にお会いしましょう。 それでは皆さん、また明日。さようなら。