「私の夫は生涯軍人でした」父の葬儀で母は語った「夜中にうなされ叫び・・・」 復員後も父の心を壊した軍隊での戦争体験
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「私の夫は生涯軍人でした」父の葬儀で母は語った「夜中にうなされ叫び・・・」 復員後も父の心を壊した軍隊での戦争体験
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過酷な軍隊生活や戦場での強いストレスによって、戦後も「戦争PTSD」と呼ばれる心の後遺症に苦しめられた人たちがいます。
福岡県北九州市で暮らす女性(75)の父親も晩年、こうした症状に苦しみました。
人柄すら変えてしまう、女性が間近でみた戦争の恐ろしさです。
八幡大空襲で奪われた命
8月8日、北九州市八幡東区で行われた八幡大空襲の慰霊祭。
およそ250人が参加し、空襲で命を奪われた犠牲者に祈りを捧げました。出口敬子さん
「八幡大空襲の犠牲者は1878人とただの数として上がっていますけども、この人たちには命があり家族があり友達があり・・・
この式典を主催したのは、ボランティア団体「平野塾」の副代表・出口敬子さん(75)です。
平和を強く願い続けるのには、ある理由があります。
陸軍に入隊、中国に送られた父
出口敬子さん
「これが父の字で書いたものなんですね」7年前に亡くなった出口さんの父・一(はじめ)さんは、20歳だった1943年3月、陸軍に入隊。
航空機の整備などを行う「航空技術兵」として中国に送られました。出口敬子さん
「爪と髪の毛を入れて、もし亡くなったらこれを骨の代わりにしてくださいと」復員後、八幡製鉄所で働きながら、妻と2人の娘を支えていた一さん。10代のころから書き続けていたという日記からは、子煩悩で家族思いな人柄がうかがえます。出口敬子さん
「自分のことだけじゃなくて『妻は今日は踊りの出稽古に行った』とかね、何時に帰ったとかね、うちの母のこととか、私が学級委員になったとか家族のことを日記にいつも書いてて」
酔うと庭に出て大声を出した父
家族に戦時中のことを話すことはめったになかった一さんですが、時折、犠牲となった戦友への思いが溢れることがありました。出口敬子さん
「同期の人たちが60人近くいて、60人のうち帰ったのが十数人しかいなかった。ものすごく父にとってつらかったと思う。酔っ払ったら庭に降りて大きな声で『おまえたちのこと忘れんけの』って」 そんな中、一さんは80代で認知症を発症。
症状が進行していくと共に、胸の奥に閉じ込めていた戦争の記憶が、少しずつ一さんの人柄を変えていきました。
晩年に人柄が変わった 父が感じていた恐怖
出口敬子さん
「『何を言う』とか『もういっぺん言ってみろ』とか軍隊の人が言うような言葉つきになってきた。『一選抜の上等兵、出口伍長ぞ』って言うんですね。『お母さん伍長ってなんなん、本当?そんなこと聞いたことないよね』と言って」
寝ている時にも、当時の記憶にうなされることがあったそうです。出口敬子さん
「『裏に人が来ているんじゃないか』とか怖がったりすることもあった。母が『戦争は終わったんだからゆっくり寝ないと』と言って。人によって違うと思うけど、私はかわいそうだった父が。そういう体験したらこうなっちゃうんだなと」
戦争体験が人を変える「戦争PTSD」とは
一さんのように、戦争体験によって兵士が心に傷を負うケースは少なくありません。
こうした症状は「戦争PTSD」とも呼ばれ、心理学の専門家は要因について――甲南大学 森茂起 名誉教授
「戦争というのは、そのある瞬間の命が危ない出来事ということじゃなくて、長期間にわたって戦場にいたり、それから軍隊の中で過ごしていたり、強いストレスがずっと続いている状態を経験しますので、戦争に行くまでは非常に明朗な穏やかな人だったって、そういう方が帰ってくると、非常に陰鬱な気分にずっと支配されて、そして時には怒りが爆発する。戦争に行く前はそんな人じゃなかったのに、戦争から帰ってきたらそんな状態になったというのが、明らかに戦争体験がその方を変えてしまった」
意志不明の父に『出口伍長!ここに手を付け!』
父の心がいかに戦争に支配されていたのか出口さんが実感したのは、一さんが94歳の時のことでした。出口敬子さん
「私が見たときはここで倒れていた。父はね」
夜中に自宅の階段から落ち、意識を失った一さん。
何をしても意識が戻らず、駆けつけた出口さんが最後に取った手段は、戦時中の記憶を呼び起こすことでした。出口敬子さん
「『出口伍長!ここに手を付け!』と言ったらこうして立ち上がるんですよ。そしてこちら側に私が父の腰を支えて行かせて、『そこから匍匐前進はじめ!』と言ったら上っていきましたね。軍隊は命令に服従しないとビンタされると。それくらいは父から聞いていたから」
辛い記憶を呼び起こすことに罪悪感を感じながらも、命を救うための苦肉の策でした。
出口敬子さん
「『起床!』って言ったもんね横で。そしたら目が動き出したからこれでいいと思って。かわいそうだったですけど。本当に命令にこんなんしよったんやな」
父の葬儀、母の挨拶に「鳥肌が立った」
その2年後、一さんは家族に看取られながら、この世を後にしました。
葬儀の場で母が語った言葉が、出口さんに父の長年の苦しみと平和の大切さを再認識させました。出口敬子さん
「『私の夫は生涯軍人でした』って言ったんですよ。普通の挨拶じゃなかった。『夜中にうなされたり叫んだりして。しかし、最期は布団の上で娘2人にも手を取られて亡くなりました』」と。『平和ほどありがたいものはありません』と母が言ったんですよ。私もうすごく鳥肌が立って」
「戦争がすべての悪の根源だ」出口さんの訴え
戦争が終わってもなお心の傷を抱え続けた一さん。
その姿を目の当たりにし続けてきた出口さんは、戦争の恐ろしさを強く訴えます。出口敬子さん
「戦争がすべての悪の根源だなと。(兵士は)自分も加害しているからこそ心に闇があると思うんですけど、その闇がその人のせいじゃない、戦争がなければこんな運命にならなかった人もたくさんいる。誰がどうなってもおかしくない。うちの父だってああいうところにいたんだからね。だから戦争は嫌だと思います」
兵士たちの命だけでなく穏やかな心までも奪い去ってしまう戦争。
元兵士たちが負った深い心の傷は、どれほど時間が経っても消えることはありません。
詳細は NEWS DIG でも!↓
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/...