600人の軍艦が沈んだ夜、灯台の職員はたった2人 なぜ69人は助かったのか?|海難1890の実話
実話の記録室
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600人の軍艦が沈んだ夜、灯台の職員はたった2人 なぜ69人は助かったのか?|海難1890の実話
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1890年9月16日の夜、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が、和歌山県・紀伊大島の樫野崎で岩礁にぶつかりました。灯台にいた職員は2人。その夜のうちに10人、朝までにさらに53人が灯台にたどり着きます。映画『海難1890』(2015年)の題材になったこの出来事を、内閣府の専門調査会報告書が転載する『樫野崎灯台日誌』、当時の知事電報、国会の議事録などで読み、地図と時刻の図で再現します。
資料によって違う数字は、違うまま並べています。死者の数は、資料によって494人から587人まで分かれます。
▼ 目次
0:00 オープニング(地図でたどるエルトゥールル号)
2:03 第1章 なぜ嵐の季節に
2:40 第2章 樫野崎の夜
5:08 第3章 島の人たち
6:15 第4章 比叡と金剛
8:14 第5章 1985年のテヘラン
10:11 第6章 よく聞く二つの話
11:06 第7章 数字で見る海難1890
12:35 第8章 映画と記録
13:29 第9章 今の串本
14:13 エンディング
▼ この動画で分かること
・なぜ嵐の季節に横浜を出たのか
・嵐の夜、なぜ69人は助かったのか ―― 灯台日誌に残る時刻
・島の人たちが出したもの ―― 記録にあるものと、伝承として語られるもの
・69人は、どうやってトルコへ帰ったのか(比叡と金剛)
・1985年、なぜテヘランの日本人はトルコの飛行機に乗れたのか
・死者の数・日付 ―― 資料ごとに違う数字
▼ 主な出典
・内閣府 災害教訓の継承に関する専門調査会『1890 エルトゥールル号事件報告書』(『樫野崎灯台日誌』の転載を含む)
・内閣府『広報ぼうさい』No.34(2006年)、『ぼうさい』76号(2014年)
・和歌山県知事・兵庫県知事の電報(1890年9月19日、報告書所引)
・外務省 外交史料館 解説、外務省・在トルコ日本国大使館の資料
・参議院予算委員会 会議録(1985年3月20日)
・AA通信(2015年11月30日)
・The Graphic, 21 March 1891
・映画:田中光敏監督『海難1890』(2015年)
※ 地図は NASA・地理院タイルの画像と Natural Earth のデータをもとに自作した略図です。航路は寄港地をもとにした概略です。
※ 灯台日誌の原本は所在が確認されておらず、時刻は報告書の転載によります。
※ 英語・トルコ語資料の日本語訳は、この動画によるものです。
※ 「再現イメージ」と表示した絵は、記録をもとに AI(Google Flow)で作成した想像図で、実際の場面の写真ではありません。
※ 地形の3D(紀伊大島・樫野崎)は国土地理院の標高データをもとに自作した略図です(高さは強調しています)。岸から灯台への道すじは概略です。
※ 写真:Wikimedia Commons(各ファイルページのライセンス表記による)
※ 地形:国土地理院 標高タイルをもとに作成。
※ 海岸線:© OpenStreetMap contributors(ODbL)
※ 映画の映像・写真は使用していません。図・BGM・効果音は自作です。
※ 特定の人物や国を責めたり、たたえたりする意図はありません。
#海難1890 #海難1890実話 #エルトゥールル号