【漫画】ソニーと任天堂は、なぜ共同開発したゲーム機を巡って決裂したのか?
家電と雑学
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【漫画】ソニーと任天堂は、なぜ共同開発したゲーム機を巡って決裂したのか?
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中古ゲーム店のレトロ棚では、灰色のスーパーファミコンと白い初代プレイステーションが、たいてい同じ段に並んでいます。作った会社は任天堂とソニー。90年代の売り場で正面からぶつかった二社です。
ところが、この二台には別の関係がありました。1990年11月21日に25,000円で発売され、国内で約1,717万台が売れたスーパーファミコン。その音を鳴らしていたPCM音源の回路は、ソニーの技術者・久夛良木健が設計したものでした。同時発音8チャンネル、16bit、ステレオ。当時の家庭用としては異例の贅沢な仕様です。
その仕事が縁になり、1989年10月、二社はスーパーファミコン用のCD-ROM機を共同開発することで合意します。円盤の規格名は「スーパーディスク」。そしてソニーが商標登録した試作機の名前が、「プレイステーション」でした。
決裂は、1991年6月のシカゴでした。ソニーが試作機を公開した翌日、任天堂は同じ会場でフィリップスとの提携を発表します。争点は、CD-ROMソフトの規格管理とライセンス権を誰が握るか。1992年5月にソニーは提携を解消し、任天堂とフィリップスの機械も1993年9月に中止されました。そしてソニーは1993年11月16日にソニー・コンピュータエンタテインメントを設立し、1994年12月3日、39,800円で自社の箱を発売します。断られた周辺機器の名前を、そのまま付けて。
この動画では、元ゲーム誌編集者の66歳、当時小学5年生だった45歳、そしてレトロゲームバーで働く20歳の大学生という3人の再現ドラマを通して、公開資料で確認できた範囲だけを使い、1989年の合意から1994年12月の発売までをたどります。
▼この動画でわかること
・スーパーファミコンの音源をソニーの久夛良木健が設計した経緯と、その仕様(8チャンネル・16bit・ステレオ)
・1989年10月の共同開発合意と、「スーパーディスク」「プレイステーション」という2つの名前の由来
・1991年6月、CES会場でソニーの発表の翌日に任天堂がフィリップスとの提携を発表した出来事
・決裂の争点=CD-ROMソフトの規格管理とライセンス権の帰属という一点
・任天堂がカセットの生産と本数を握り続けた理由と、それが当時として合理的だった背景
・1992年5月の提携解消、1993年9月の任天堂・フィリップス計画中止、CD-iに残ったゼルダ/マリオ関連タイトル
・1993年11月16日のSCE設立から、1994年12月3日・39,800円の発売までの3年半
▼章立て
00:00 スーファミと初代プレステが隣にある理由
03:06 スーファミの音を作ったソニー
04:17 CD-ROM共同開発と「プレイステーション」
06:00 任天堂が守っていたカセットの仕組み
07:00 見本市で起きた突然の提携解消
08:09 決裂の本当の理由はソフトの権利
09:32 共同開発が完全に終わるまで
10:56 ソニー社内の反対と単独参入
11:27 初代プレイステーション誕生
13:12 残った幻の試作機
14:03 共同開発が決裂した3つの理由
「家電と雑学」は、家電を単なるスペック比較やランキングにせず、「なぜ生まれ、誰のどんな暮らしで必要とされ、今も何を残しているのか」を、生活者の再現ドラマで解くチャンネルです。
今回は、どちらかを裏切り者にする回ではありません。任天堂がソフトの数と質を管理する仕組みを守ろうとしたのには、市場が一度崩れた経験の上に立つ理由がありました。ソニーが引き下がらなかったのにも理由がありました。守るものが違う二社が、同じ円盤の上で一点だけ譲れなかった。その経緯を、当事者のどちらにも寄らずに見ていきます。当時を店頭で見ていた方にも、生まれる前の話として聞く方にも、あの棚の並びが少し違って見える時間になれば幸いです。
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※この動画は制作時点で確認できたメーカー公式情報および公開資料をもとに構成しています。登場人物、会話、場面は再現ドラマとして創作したものです。製品の仕様、価格、販売台数などは発売時点または資料公開時点の情報を含みます。