1972年、平壌で夜間高校の同級生を探した日本人記者は、なぜ翌年、北朝鮮を追われたのか
マサキの暮らしとお金
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1972年、平壌で夜間高校の同級生を探した日本人記者は、なぜ翌年、北朝鮮を追われたのか
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大阪の定時制高校で、隣の席に座っていた友がいました。
済州島から海を渡ってきたその友は、1960年、帰国船で北朝鮮へ渡ります。
1972年、新聞記者として平壌に着任した日本人は、友の消息をたずねて、ひとりで町を歩きました。
そして翌1973年の春、その国から国外退去を命じられます。
友を探しただけの人が、なぜ国を追われたのか。
1972年の平壌赴任から26年後、1998年に刊行された一冊の本と、受賞の翌朝にかかってきた一本の電話のお話です。
目次
00:00 受賞の翌朝の電話
02:03 第一章 夜の教室
06:08 第二章 一九六〇年の別れ
10:23 第三章 平壌の一年
15:20 第四章 ワシントンの百六十万枚
18:31 第五章 一枚のチラシ
21:33 第六章 受賞の朝の電話
この動画は、萩原遼さんご本人の著書、講演録、受賞のことば、当時の新聞報道などの公開資料をもとに構成しています。
参考資料
萩原遼『北朝鮮に消えた友と私の物語』文藝春秋(1998年)、文春文庫(2001年)
萩原遼「受賞のことば」、第三十回大宅壮一ノンフィクション賞「選考経過」(『文藝春秋』1999年6月号)
萩原遼「5周年記念講演」、小川晴久「萩原遼さん 大宅壮一ノンフィクション賞おめでとう」(会報『かるめぎ』27号、1999年6月)
毎日新聞 1999年4月22日 朝刊
時事ドットコム 礒﨑敦仁「『本音』で生きた孤高の作家、萩原遼さん」
民団新聞 2020年3月11日
国立国会図書館 書誌・典拠データ
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※ ナレーションはAI合成音声です。写真や背景は、資料イメージと各出典を明記した公開素材を使っています。
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#帰国事業 #北朝鮮 #萩原遼