1962年、15歳で東京へ。「集団就職」した少女の人生
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1962年、15歳で東京へ。「集団就職」した少女の人生
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「お給料がいっぱいもらえるところに、お勤めできるように。」昭和37年、東北の中学を出る15歳の少女は、進路面談で先生にそう告げました。集団就職の夜行列車、上野駅18番ホームの旗、紡績工場の寮と夜間高校。1円でも多く実家に送り続けた日々と、のちに語った「お金がいくらあっても不安」という言葉までをたどります。
──
チャプター
0:00 「お給料がいっぱいもらえるところに」
0:58 お金がないことが恥ずかしかった
2:25 金の卵と呼ばれた子どもたち
4:52 夜行列車と上野駅18番ホーム
8:50 寮と工場と夜の教室
13:03 弟が中学を出る日
15:02 お金がいくらあっても
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参考文献
サライ.jp「【親孝行物語】15歳から働き詰めの79歳女性が実感する死の気配…息子が整備した“安心できる環境”とは~その1~」(2025年3月9日)
https://serai.jp/living/1220292
── 主人公の骨格にした、東北出身の79歳女性のインタビュー。1946年生まれ・7人きょうだいの次女、給食費や学級費を持っていけなかったこと、進路面談での言葉、大手の紡績工場・寮・夜間高校、「1円でも多く」「下の弟が中学校を出るまで」の仕送り、上司に相談して事務職へ移ったこと、簿記、上司の家での紹介、25歳での結婚と退職、東南アジアでの納豆づくり、ファミリーレストランでの20年以上のアルバイトと表彰、退職の日の花束。動画中の本人の言葉はすべてこの記事からの引用です
山口覚「瀬戸への集団就職」(関西学院大学リポジトリ)
https://kwansei.repo.nii.ac.jp/record...
── 愛知県瀬戸市への集団就職が1952年ごろから制度として整えられ、「青森発上野行き」を始まりとする通説より早かったという指摘。1955年の鹿児島での募集(求人:女子25人・男子4人、求職:女子98人・男子10人)、1956年の採用予定(6県・9割が女性)、1955年の女子の初任給(月3,900〜4,000円、食事代1,650円を差し引く)、1965年3月卒・尾張地区の女子の初任給(繊維工業13,050円)、A氏・B氏の聞き取り(A氏:1938年鹿児島県生まれ、10人兄弟の7番目、1954年に同級生34人と入社、体重約38kg、初任給4,000〜5,000円・食費月1,700円、1957年に鼓膜の手術のあと退職し兄の美容院がある大阪へ/B氏:1943年宮崎県串間市生まれ、洋裁学校に1年、1960年に就職、3年8か月勤めて1964年に帰郷、1965年に同じ会社へ)
山内義夫さん(宮城県気仙沼市、元中学教師)の聞き書き「こどもの国に生きて」(kikigaki.rq-center.jp)
https://kikigaki.rq-center.jp/jibunsh...
── 子どもたちの動機の言葉、蒸気機関車の車内でトンネルのたびに煤だらけになったこと、すし詰めの車内とうたた寝、上野の西郷さんの銅像の前で県ごとに集められ会社ごとに分けられたこと、入社して間もなく亡くなった男の子とお墓の話
文春オンライン 澤宮優『集団就職』の紹介記事
https://bunshun.jp/articles/-/3136
── 公的な記録が少なく、自治体も人数のデータを持っていないこと、経験者の言葉「私たちのときは仕事の選択肢がなかったのよ。生きていくにはこれしかなかったのよ」
弦書房『集団就職』紹介ページ
https://genshobo.com/archives/7184
── 旅立つ中学卒業生を「出征兵士のごとく」と重ねた記述
さんたつ「集団就職」記事
https://san-tatsu.jp/articles/102749/
── 集団就職列車の運行(昭和29年〜昭和50年)、上野駅で会社の名前を書いた旗を持って待つ世話役、『あゝ上野駅』の発売(昭和39年)
東洋経済オンライン
https://toyokeizai.net/articles/-/195331
── 上野駅の集団就職列車の専用ホーム(18番ホーム)
松井健「労働時間短縮闘争から見た日本の労働時間」(日本労働研究雑誌、労働政策研究・研修機構、2017年)
https://www.jil.go.jp/institute/zassi...
── 1957年の全繊同盟による深夜業撤廃の要求、1958年の毛織物会社の2交替制(5:00〜13:30/13:30〜22:00)
『鐘紡長浜高等学校の青春』をめぐる研究会記録(同志社大学学術リポジトリ)
https://doshisha.repo.nii.ac.jp/recor...
── 紡績会社の高校に通いながら働いた人の、早番は朝4時半起き・遅番は夜10時半まで、8時間ほぼ立ちっぱなしという証言
内閣府「年次経済財政報告」長期経済統計(消費者物価指数)
https://www5.cao.go.jp/keizai3/2023/0...
── 金額の「今の物価に置き換えた目安」の計算に使用(総務省・消費者物価指数、2020年=100:1955年16.5、1965年23.9、2022年102.3)
※動画中の金額は、当時の金額を消費者物価指数で今の物価に置き換えた目安です(当時の額:瀬戸の初任給は月4,000〜5,000円・食費1,700円〈A氏、1954年〉、女子の初任給3,900〜4,000円・食事代1,650円〈1955年〉、繊維工業の初任給13,050円〈1965年〉)。初任給の数字は彼女自身のものではなく、愛知県の事例です。
※ナレーションは音声合成、画像はAIで生成したイラストで、実際の写真ではありません。
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