あなたならどうする (いしだあゆみ)昭和を彩る都会的ポップスの名曲をAIシンガーがボサノバカバー
心に残る昭和の名曲たち
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あなたならどうする (いしだあゆみ)昭和を彩る都会的ポップスの名曲をAIシンガーがボサノバカバー
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心に残る昭和の名曲たち
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1970年 作詞:なかにし礼 作曲:筒美京平
いしだあゆみさんの出身については大阪府池田市とされている資料も見られましたが、実は長崎県の佐世保市のお生まれです。
いつかは判明しませんでしたが、まだ赤ん坊の頃に池田市に転居されたようで、5歳のときから大阪市内でフィギアスケートを学ばれ始め、教育大学附属池田小学校(当時は大阪学芸大学附属池田小学校)に入学した頃には大阪の児童劇団に所属して芸能活動を始められていました。
14歳で上京、そして1964年(昭和39年)に16歳で歌手デビューされました。
芸名の名付け親は永六輔さんでした。
2枚目のシングル『サチオ君』こそ5万枚の小ヒットとなりましたが、この曲がデビューから4年間でリリースされた21枚のシングル最大ヒットという、歌手としてはあまりパッとしない状態でした。
しかしこの21枚をリリースしている間の4年間、いしだあゆみさんは女優業の仕事が忙しく、多数の映画やドラマに出演されていて歌手活動にはほとんど時間が割けなかった事情があったようです。
デビューからまる4年が過ぎ、歌手に本腰を入れようと決心されたいしだあゆみさんは、1968年(昭和43年)それまで所属していたビクターからコロンビアに移籍し、第一弾『太陽は泣いている』をリリースします。
そしてこれがヒットしたことで彼女は大きな転機を迎えることになります。
この『太陽は泣いている』のレコード売上枚数は残念ながら確認できなかったのですが、オリコン18位にランクされた記録が確認されたので、前後の曲から考えると少なくとも10万枚は軽く超えていたと思われます。
そしてその年の暮れ、あの120万枚を超える『ブルー・ライト・ヨコハマ』が大ヒット、一気に歌手としてのスターダムに駆け上がることになります。
それから2年間に『涙の中を歩いてる』(オリコン10位)、『今日からあなたと』(同7位)、『喧嘩のあとでくちづけを』(同7位)と、手堅いヒットを重ねて、この『あなたならどうする』を1970年3月にリリースすることになるのですが、この曲はオリコンの週間首位こそ逃しましたが2位にランクされ、年間ランキングでは21位、レコード売り上げも40万枚を超えるヒット作となりました。
1971年(昭和46年)には「砂漠のような東京で」がオリコン最高3位にランクインされ、セールス35万枚を上げるなどヒット連発、前年からの紅白歌合戦出場はこれ以後通算10回出場という押しも押されもしない堂々たる歌手となられました。
児童劇団の頃より鍛えられた演技力には定評があり、時代劇も含めて数多くの映画やテレビドラマにに出演され、数々の映画賞から主演女優賞をはじめ最優秀助演賞など多数の賞を受賞されました。
また、2020年には文化庁長官表彰を、そしてこの翌年には旭日小綬章を受賞されています。
歌手として、女優として大活躍されたいしだあゆみさんは、2025年の3月に入って急激な体調悪化にみまわれて入院されましたが、3月11日、そのまま帰らぬ人となられました。
没後、生前の功績を表して日本アカデミー賞会長特別賞が贈られました。
この曲の作詞を担当されたなかにし礼さんは、『あなたならどうする』がリリースされた翌年の秋、いしだあゆみさんの実妹である石田ゆりさんと結婚され、なかにし礼さんはいしだあゆみさんの義弟になられます。
10歳も年上の弟に、いしだあゆみさんは当初さぞ戸惑われたのではないでしょうかね。
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