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【地上波では放送できない】石田三成の最期|処刑から307年後、墓は開けられ、頭の骨は写真に撮られた

日本史の分かれ道

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【地上波では放送できない】石田三成の最期|処刑から307年後、墓は開けられ、頭の骨は写真に撮られた

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日本史の分かれ道
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明治40年(1907年)5月19日。京都、大徳寺の三玄院。 石田三成の墓と伝わる石塔の下が、掘り返されました。処刑から307年目のことです。 土の中から出た頭の骨は、京都帝国大学に運ばれ、写真に撮られました。 けれど、発掘に立ち会った歴史家は、2か月後にこう書いています。三成と断定できる材料は、無かった、と。 この動画では、関ヶ原の敗戦(慶長5年9月15日)から六条河原(10月1日)までの16日間を、当時の人が書いた日記と手紙の日付の順にたどります。 公家の山科言経や西洞院時慶の日記、醍醐寺の僧 義演の日記、北野社の僧の日記、豊国社の僧 梵舜の日記、徳川家康の書状、近衛前久の手紙、宣教師の報告。 並べてみると、ドラマや物語がまず描かない、三つのことが見えてきます。 ・墓を開けた歴史家自身が「三成と断定できない」と書いていたこと ・三成が捕まった日も、捕まった村の名も、当時の文書には書かれていないこと ・柿の話も、辞世の歌も、処刑の日の日記には一行も出てこないこと 古橋の岩の洞、大津城の門前、にら雑炊、家康との対面、「上様とは誰か」といった有名な場面が、どの時代の本に最初に出てくるのかも、あわせてお伝えします。 画面の右上の札は、その話のもとが「当時の記録」「のちの編さん」「いまの研究」のどれなのかを、色で示しています。 ▼もくじ 0:00 はじめに 1:38 石田三成という人 2:13 9月15日・関ヶ原 2:58 9月17日・佐和山 3:51 9月20日・うそのうわさ 5:01 9月22日・知らせ 6:55 9月24日・大津城のあたり 9:04 9月26日・街道 9:39 9月29日・大坂と堺 10:18 10月1日・六条河原 12:47 柿と、辞世の歌 14:24 残された人たち 16:08 307年目の墓 20:11 当時の人が書いた最期 【参考資料】 (当時の記録) ・『言経卿記』慶長5年9月15日・17日・22日・29日条、10月1日条(東京大学史料編纂所編『大日本古記録 言経卿記』10、岩波書店) ・『時慶記』慶長5年10月1日条(藤井治左衛門編『関ケ原合戦史料集』の引用による) ・『義演准后日記』慶長5年9月21日・26日条、10月1日条(『史料纂集 義演准后日記』第2) ・『舜旧記』慶長5年10月1日条(『史料纂集 舜旧記』第1) ・『北野社家日記』慶長5年9月20日条、10月1日条(『史料纂集 北野社家日記』第5) ・『左大史孝亮記』慶長5年9月23日・24日条(『史籍集覧』) ・押小路家の日記 慶長5年10月2日条(藤井治左衛門編『関ケ原合戦史料集』の引用による) ・徳川家康書状(慶長5年9月22日付 田中吉政あて/同日付 池田輝政・浅野幸長あて/9月23日付 細川忠興あて。いずれも写し) ・近衛前久書状(慶長5年9月20日付) ・結城秀康書状(慶長5年9月28日付 伊達政宗あて) ・ヴァレンティン・カルヴァーリュ「1600年度日本年報補遺」(1601年2月25日付。松田毅一監訳『十六・七世紀イエズス会日本報告集』第I期第3巻、同朋舎出版。本編は要旨) ・春屋宗園『一黙稿』(慶長7年10月1日の偈。渡辺世祐の引用による) (のちの時代にまとめられた本) ・太田牛一『内府公軍記』(慶長12年までに成立) ・板坂卜斎『慶長年中卜斎記』(『史籍集覧』) ・『当代記』(『史籍雑纂』第2) ・『関原始末記』(『史籍集覧』) ・田中吉政の触書(慶長5年9月17日付と伝わる写し。研究書の紹介による) ・『武功雑記』(元禄9年ごろ) ・『関原軍記大成』(正徳3年) ・『続明良洪範』『茗話記』『慶長見聞書』『常山紀談』 ・『雍州府志』(貞享年間) ・寿聖院の記録(『霊牌日鑑』ほか。渡辺世祐『稿本石田三成』による) ・津軽藩の記録、杉山家の由緒書(『新編弘前市史』資料編ほかによる) (いまの研究・発掘・解説) ・渡辺世祐「石田三成墳墓に就て」『歴史地理』10巻1号、1907年 ・渡辺世祐『稿本石田三成』1907年、増補版 1929年 ・『歴史地理』9巻6号の時評、『考古界』1907年12月号 ・『朝吹英二君伝』1928年 ・清野謙次『日本人種論変遷史』1944年、『日本民族生成論』1946年(足立文太郎の手紙を収録) ・鈴木尚『骨』学生社、1960年 ・科学研究費助成事業 課題番号 22K01002「百年ぶりに発見された石田三成頭蓋石膏レプリカの三次元形態解析に基づく復顔」(研究代表者 川久保善智)の報告 ・藤井治左衛門編『関ケ原合戦史料集』新人物往来社、1979年 ・東京大学史料編纂所編『史料綜覧』巻13 ・長浜城歴史博物館の図録(1999年、2000年) ・国立国会図書館デジタルコレクション ※史料の言葉は、現代語に直した要旨です。原文のままの引用ではありません。 ※歴史上の出来事には諸説あります。本動画は複数の史料と研究をもとに構成していますが、解釈の一つとしてご覧ください。明治40年に見つかった骨が石田三成本人のものかどうかは、いまも確定していません。 ※「いちばん古い」と述べた出典は、今回の調査でたどれた範囲でのものです。より古い出典がある可能性があります。 ※映像は生成AIで制作したイメージです。人物の顔立ちや衣装、建物は、実際のものとは異なります。寺院や所蔵品の実物を写したものではありません。 ※音楽は「もみじばミュージック」のフリーBGMを使用しています。 ※効果音の一部に「効果音ラボ」の素材を使用しています。