前田慶次は、どこで死んだのか|没年は慶長10年・17年・18年、死に場所は大和・会津・米沢。記録を並べて分かったこと
日本史の分かれ道
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前田慶次は、どこで死んだのか|没年は慶長10年・17年・18年、死に場所は大和・会津・米沢。記録を並べて分かったこと
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慶長17年6月4日。山形県米沢市の堂森では、いまも毎年この日に、前田慶次の供養祭が営まれています。
けれど、慶次の最期を書いた古い記録を開くと、話はそろっていません。
没年は、慶長10年、17年、18年。死に場所は、大和(奈良)、会津、米沢。しかも、どの記録も、亡くなったとされる年から40年以上あとに書かれたものです。
この動画では、慶次が自分で書いたと伝わる『道中日記』と、のちの時代にまとめられた本(野崎八左衛門の述書、『加賀藩史料』、『近世軍記』、『米沢地名選』、『米沢里人談』ほか)を、書かれた順に並べて、何がどこまで言えるのかをたどります。
あわせて、堂森に残るもの(供養塔は1980年、墓所の推定の発表は2021年、墓石の建立は2024年)と、水風呂や松風といった有名な話が最初に載る本、『一夢庵風流記』『花の慶次』が慶次の姿を決めていくまでも、確かめられた範囲でお伝えします。
画面の右上の札は、その話のもとが「当時の記録」「のちの編さん」「いまの研究」のどれなのかを、色で示しています。
▼もくじ
0:00 はじめに
1:46 慶次という人
3:21 米沢へ
5:44 無苦庵
6:44 米沢の言い伝え
9:17 大和の遺書
11:56 会津の一行
12:51 並べてみると
15:42 場所を示すもの
17:05 作られた慶次
18:14 死に場所は決まっていない
【参考資料】
(当時の記録)
・『前田慶次道中日記』慶長6年(市立米沢図書館蔵「米沢善本」。影印本は米沢市教育委員会、2001年)。和歌・漢詩は、翻刻(工藤定雄「前田慶次道中日記」『日本庶民生活史料集成』第8巻)の引用で読んでいます
・亀岡文殊への和歌奉納(慶長7年)は、市立米沢図書館の解説による
(のちの時代にまとめられた本)
・野崎八左衛門の述書(承応元年〔1652〕)。『加賀藩史料 第1編』(侯爵前田家編輯部、1929年)所引「考據摘録」と、石川県立図書館蔵『前田慶次殿伝』(『秘笈叢書』19)の写本
・『加賀藩史料 第1編』所引の『可観小説』『三壺記』『重輯雑談』『本藩歴譜』『前田氏系譜』『村井重頼覚書』『前田家雑録』『無苦庵記』
・『近世軍記』(延宝8年〔1680〕の序。『越後史集』所収、1917年)
・『米沢事跡考』(元文元年〔1736〕の序)・『米沢地名選』(『米沢古誌類纂』所収、1908年)
・『米沢里人談』(享和元年〔1801〕の序。市立米沢図書館蔵)
(いまの研究・報道)
・池田公一『戦国の「いたずら者」前田慶次郎』宮帯出版社、2009年
・今福匡『前田慶次 武家文人の謎と生涯』新紀元社、2005年
・山形新聞 2021年6月5日(堂森山の墓所の推定の発表)/米沢日報 2024年(墓石の開眼供養)
・米澤前田慶次の会、米沢市、市立米沢図書館、山形県の解説
・国立国会図書館の書誌(大町桂月『奇男児前田慶次』1912年/海音寺潮五郎『戦国風流武士』1942年/隆慶一郎『一夢庵風流記』/原哲夫『花の慶次』の刊行年)
※史料の言葉は、現代語に直した要旨です。『加賀藩史料』所引の本は、『加賀藩史料』に収められた本文で読んでいます。
※歴史上の出来事には諸説あります。本動画は複数の史料と研究をもとに構成していますが、解釈の一つとしてご覧ください。慶次の没年と死に場所は、決着していません。
※映像は生成AIで制作したイメージです。人物の顔立ちや衣装、建物は、実際のものとは異なります。
※音楽は「もみじばミュージック」のフリーBGMを使用しています。
※効果音の一部に「効果音ラボ」の素材を使用しています。