1988年、世界一だった日本の半導体はなぜ衰退したのか|TSMCの台頭とRapidus・AI時代の再挑戦
世界の分岐点
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1988年、世界一だった日本の半導体はなぜ衰退したのか|TSMCの台頭とRapidus・AI時代の再挑戦
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世界の分岐点
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1988年、世界の半導体のおよそ2つに1つは日本製でした。
NEC・東芝・日立が世界の頂点に立った日本の半導体産業は、なぜ王座を失い、TSMCとサムスンの時代が訪れたのか。
黄金期から衰退、そしてTSMC熊本・Rapidusによる再挑戦までを、約21分のドキュメンタリーでたどります。
■ 日本半導体の黄金期
1988年、世界の半導体売上高に占める日本企業のシェアは50.3%。世界トップ10のうち6社が日本企業で、DRAMでは世界市場の約8割を握りました。強さの源は、品質・量産・設備投資でした。
■ なぜ衰退したのか
日米半導体摩擦と1986年の日米半導体協定で、価格と市場が外側から縛られます。1990年代にはDRAMの価格競争が激化し、大胆な投資を続けたサムスンが1992年にDRAM世界首位へ。市場の主役がメモリからCPUなどのロジック半導体へ移るなか、日本企業はDRAMから次々と撤退しました。
■ ファブレスとファウンドリ、TSMCの時代
設計と製造の分業が進み、工場を持たないファブレスと、製造を請け負うファウンドリが台頭。顧客と競争しないTSMCは、ファウンドリ市場の約6割を握りました。一方、日本はソニーのイメージセンサー、ルネサスの車載半導体、材料と製造装置で、今も世界を支えています。
■ TSMC熊本・Rapidus・AI半導体
半導体不足と米中対立を経て、半導体は国家戦略になりました。熊本ではTSMCの工場が稼働し、北海道ではRapidusが2ナノ世代の量産を目指します。AIの時代、日本は再び半導体大国になれるのでしょうか。
■ チャプター
00:00 世界を支配した日本
03:21 崩れ始めた王国
07:35 新しい半導体ビジネス
12:03 スマートフォンと台湾
17:11 半導体が国家戦略になった
20:29 AI時代、日本は再び半導体大国になれるのか
日本の半導体が後退した最大の理由は何だったと思いますか? Rapidusの挑戦の行方も、ぜひコメントで聞かせてください。
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■ 資料・映像について
・数値は企業・政府・業界団体の公表資料や報道に基づく概数を含みます。
・グラフ・地図・立体映像はイメージ表現です。ナレーションは音声合成です。
・写真 Wikimedia Commons:
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#半導体 #TSMC #Rapidus #日本経済