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三軒茶屋ナザレン教会礼拝説教「天に昇られるキリスト」2025年5月25日

三軒茶屋ナザレン教会

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三軒茶屋ナザレン教会礼拝説教「天に昇られるキリスト」2025年5月25日

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2025年5月25日 礼拝式説教 マタイによる福音書28章16~20節 「天に昇られるキリスト」 日本ナザレン教団三軒茶屋教会 牧師 石川博詞 <説教から> 使徒言行録1章3~11節には、弟子たちの見上げる中、十字架の死から復活されたイエス様が天へと昇って行かれた時のことが記されています。ご復活されたイエス様は、40日にわたって弟子たちにお姿を表され、神の国についてお話くださり、食事をも共にされました。教会の暦では、このことを記念して、毎年復活日(イースター)を含めた40日目(つまり復活から39日後)を昇天日としています。今年は、今週の29日(木)が昇天日です。イエス様は昇天される前に、弟子たちに重要な使命を託されました。それが今読みましたマタイによる福音書にも記されていますので、もう一度読みたいと思います。19~20節をご覧ください。「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、20 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」。これがイエス様が神の子、復活された救い主であることを信じるクリスチャンすべてに託されている重要な使命です。  イエス様を復活された救い主キリストであると信じ、その愛に感謝し、賛美できることは、他に比べることなど出来ない尊い恵みです。ですから、この御恵みを限られた仲間内だけで分かち合っているだけで良しとしてはならないのです。イエス様がご自身を犠牲にされて、「すべての民」に与えられた尊い御恵みなのですから、クリスチャンは、すべての民とこの御恵みを分かち合わなければならないのです。そして、すべての民をイエス・キリストの弟子としていくのです。  この使命は、誰か特別な能力のある指導者だけが果たして行くことではありません。文字通りすべてのクリスチャンが、最初の弟子たちと同じように、キリストを伝えて行く使命を託されているのです。イエス様は、今も私たちクリスチャンを信頼し、この尊い使命を託してくださっているのです。使命を託された私たちは、キリストの弟子として、世に派遣されていることを自覚しなければなりません。  もちろん派遣と言っても、そのあり方は様々です。牧師や宣教師としてフルタイムでの派遣だけではありません。普段の生活の場面においてキリストを賛美し、福音を世に証しする機会が、すべてのクリスチャンに与えられています。こうして、すべてのクリスチャンが、それぞれの賜物を通して、キリストの教えを、きよい香りとして世に広めていくのです。  とはいえ、ことさら肩肘張る必要などありません。普段の自分、自然体でいることが大切です。そもそも、私たちのような者がキリストのきよい香りを世に放つことなど、本来出来ないのです。罪ある私たちから、キリストのきよい香りなど到底放たれるはずがないからです。それなのに、神様は、私たちのような者をさえ、聖霊に満たし、きよくしてくださるのです。ですから、そのきよさは、私たちの能力などとは関わりなく世に放たれるのです。むしろ、私たちは自分の力を誇るいことで、聖霊の働きを妨げないよう謙虚であらねばなりません。つまり、自分を立派に見せようと頑なになるのではなく、神様が私のような者をさえ、きよい御手によって用いてくださるよう、すべてを主なる神様に委ねるのです。  私たちは弱く、愚かな者ですから、イエス様からの使命を自分の力だけで果たすことなど誰も出来ません。今読みましたマタイによる福音書の中にも、イエス様と共に過ごしてきた弟子たちですら、弱く、愚かであったことが記されています。17節をご覧ください。「そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。」とあります。十字架の死の直後ならいざ知らず、復活されたイエス様と40日間もすごし、直接教えを受け、さらに天に昇って行かれようとする、その時に至っても、まだ疑う者がいたというのです。何という頑迷さでしょうか。そんな弟子たちが、どうしてキリストの福音を伝えて行く使命を果たすことなど出来るでしょうか。弟子たち通して聖霊のきよき香りが放たれなければ、到底この使命を果たすことなど出来ません。  ですから、弟子たちがなすべきは、まず自らの頑迷さを悔い改め、真に信じる者となる他はないのです。悔い改め、心から聖霊を求め、与えられてこそ、彼らもきよい香りを放つ、イエス様の弟子とされ得るのです。イエス様は、すべてのクリスチャンがそうなるまで、決して誰も見放したりはなさらないお方です。イエス様は、私たちがどんなに弱く愚かであろうとも、また、何があろうとも、決して私たちのことを諦めたりはなさらない方なのです。なぜなら、イエス様は完全な愛の方だからです。そして、どこまで私たちと共にいてくださいます。その確かなお約束が20節にある「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」なのです。イエス様の尊いこのお約束を、私たちクリスチャンは忘れず、従って行くのみです。  弟子たちは弱く、挫折しやすい者でした。でもイエス様は常に彼らと共にいてくださり、彼らと歩み、彼らを励まし、彼らを豊かに祝福して用いくださいました。そのおかげで今、私たちの所にまで福音が届いているのです。イエス様は、有能な者だけを求め、選ばれる方ではありません。誰にでも、その愛を注ぎ、信頼していてくださる方です。ですから私たちは、イエス様のお約束を信じて、イエス様の愛をすべての民に伝えて行けるのです。私たちも聖霊の良い香りを放つ者とされていることを心から願い、イエス様から託された福音宣教の使命を果たして行きましょう。  主なる神様の御恵みをお祈りします。アーメン。