【松山千春】心臓病で倒れた2年後、「人生はやり直せない」最後の夜に語った“死”…75回立った舞台・東京厚生年金会館で、鈴木宗男と年金問題まで本音をぶちまけた理由
偉人語録
0:00 / 0:00
【松山千春】心臓病で倒れた2年後、「人生はやり直せない」最後の夜に語った“死”…75回立った舞台・東京厚生年金会館で、鈴木宗男と年金問題まで本音をぶちまけた理由
3 236 просмотров · 2 дня назад
偉人語録
22,9 тыс. подписчиков
3 236 просмотров · 2 дня назад
松山千春さんが2010年3月29日、東京厚生年金会館で迎えた最後のアーティスト公演。その夜、54歳だった松山千春さんは、2008年に経験した不安定狭心症、75回立った思い出の舞台、そして「人生はやり直しがきかない」という言葉とともに、老い、病、死について語りました。
1977年、21歳で東京厚生年金会館の小ホールに立ってから33年。昭和のフォーク、歌謡界を歩き続けてきた松山千春さんにとって、この会館は単なるコンサート会場ではありませんでした。若き日の自分、長年支えてきたファン、北海道・あしょろへの思い、亡くなった家族、そして自分自身の人生が重なる特別な場所でした。
本動画では、心臓病を経験した後に語った生と死、若い頃の「おいで僕のそばに」を「介護の歌」と笑った理由、がんを患った親戚との際どい会話、ヒット曲がなくても離れなかったファンへの感謝をたどります。
さらに、エヌエイチケーのカメラを前にして語った年金問題や政治への本音、鈴木宗男さんについて「騙されたんなら、騙されたでいい」とまで語った信頼の意味にも迫ります。
なぜ松山千春さんは、世間の評価よりも、自分が直接見てきた人間を信じようとしたのでしょうか。
そして、なぜ東京厚生年金会館が消える最後の夜に、
「人生はやり直しがきかんからな」
という言葉を残したのでしょうか。
21歳だった青年は54歳になりました。父や姉、大切な人たちとの別れを経験し、自らも心臓の病と向き合いました。そして最後には、49年の歴史を終える東京厚生年金会館へ向かって、
「今日はな、主役は会館ですから」
と語ります。
松山千春さんの歌だけでは見えてこない、昭和から平成へ続いた33年の記憶。笑い、怒り、政治、病、家族、信頼、そして死までを、自分の言葉で語った最後の夜をたどります。
00:00 松山千春、75回目で迎えた東京厚生年金会館「最後の夜」
05:20 2008年の不安定狭心症と、がんを患った親戚との会話
10:16 北海道・故郷を背負って東京へ、厚生年金会館が果たした役割
13:37 「ここ5年、一曲もない」それでもファンが離れなかった理由
15:13 「人生はやり直しがきかない」死へ向かって生きるということ
19:06 エヌエイチケーでは流せない本音、子ども手当・年金・政治
22:06 鈴木宗男への信頼、家族との別れ、そして会館49年への最後の言葉
日本コロムビア 松山千春 公式プロフィール
https://columbia.jp/artist-info/chiha...
日本コロムビア 東京厚生年金会館ファイナル ファイナリスト松山千春
https://columbia.jp/artist-info/chiha...
スポニチ 松山千春「不安定狭心症」で冠動脈拡張
https://www.sponichi.co.jp/entertainm...
スポニチ 松山千春「東京厚生年金会館」のラスト飾る
https://www.sponichi.co.jp/entertainm...
※本動画は、当時のコンサートで松山千春さん本人が語った発言と公開資料をもとに、その背景や時代状況を振り返る内容です。鈴木宗男さんや政治、年金制度に関する発言については、松山千春さんが当時語った内容として紹介しています。
▼ この物語が心に残ったら
チャンネル登録・高評価で応援いただけると、次の物語を届ける力になります。
あなたにとって忘れられない昭和のスターは、どなたですか? ぜひコメントで教えてください。
🔔 チャンネル登録はこちら → / @偉人語録9694
#松山千春 #昭和 #昭和歌謡 #昭和スター #昭和アイドル #衝撃の真実
※本動画は、公開されている情報や報道に基づき作成した個人の見解・考察であり、その内容の正確性や完全性を保証するものではありません。動画内で取り上げた情報による損害・トラブル等について、当チャンネルは一切の責任を負いかねます。あくまで一つのエンターテインメントとしてお楽しみください。