一之輔 志ん朝 三木助 米朝 名もなく貧しく面白く 貧乏長屋編【落語】夢見の八兵衛 搗屋幸兵衛 さんま火事 貧乏花見
落語ch:荒獅子男乃助
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一之輔 志ん朝 三木助 米朝 名もなく貧しく面白く 貧乏長屋編【落語】夢見の八兵衛 搗屋幸兵衛 さんま火事 貧乏花見
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0:48夢見の八兵衛 37:56搗屋幸兵衛 1:03:29さんま火事 1:25:26貧乏花見 2:02:02エンドトーク
「夢見の八兵衛」
古典落語の演目。別題「夢八(ゆめはち)」「伊勢詣り(いせまいり)」江戸落語・上方落語の両方で演じられるが、上方では「夢見の八兵衛」の演題が優勢である。居眠りばかりしている八兵衛という男に、「空き家で見張り番をしてくれ」という仕事が持ち込まれる。夜は眠らぬように棒状の木で木製品(ミカン箱、床など)を叩き続けることを言いつけられる。その通りにしていたところ、夜中になって天井からつるされた首つりの死体に気付く。実は、長屋で縊死した者がいて、明日の検屍まで安置せねばならずその番として八兵衛が選ばれたのだった。主な演者として、上方の5代目笑福亭松鶴、東京で上方落語を演じた2代目三遊亭百生らがいる。宇井無愁「落語の根多 笑辞典」掲載のあらすじでは、死体がものを話すのは猫がとりついたためとなっている。
春風亭一之輔
古典落語の伝統を守りつつ現代的な感性で観客を魅了する噺家で、古典落語の名作を彼独自の感性で再構築し「型破りの中にある正統」と評されています。伝統を守りながらも現代のスタイルを取り入れていて、立川志らくや立川談笑と並びSNSを有効利用している噺家の一人、鈴本演芸場夜の部でトリを務める予定だったが、新型コロナウイルス感染症対策にかかわる政府の緊急事態宣言発令をうけ休館となったため、高座に上がる予定だった時間帯の20:10〜21:00にらくごカフェ(東京・神保町)で無観客高座をYouTube「春風亭一之輔チャンネル」から無料で生配信した。自身の真打昇進をTwitterで知った。落語協会のHPに掲載された情報を誰かがツイートしたのを偶然見て、慌てて師匠の春風亭一朝に尋ねたが、一朝も知らないという。一朝の携帯電話の充電が切れていて師匠にも本人にも昇進が伝わっていなかった。
「搗屋幸兵衛」
家主の幸兵衛が、今朝も長屋を一回りして、小言を言って家に戻ると、空家を借りたいと男が訪ねて来た。仕事は搗米屋だというので以前あの部屋には搗米屋がいて、その隣に自分が暮らしていたと思い出話を始めた。最初に結婚した嫁は働き過ぎて体を壊した。死に際に妹を後添いにと頼まれて妹と再婚したが死んだ姉が私を恨んでいると言い出した。姉の位牌が朝になると後ろを向いているのだ、妹はこれを気に病んで死んでしまった。死後、朝になると二人の位牌が揃って後ろを向いている。さては狸の仕業かと寝ずの番をしたが・・・「小言幸兵衛」の一部を独立させた噺で豆腐屋さんが来て、次に現れる借り手が、この搗米屋さんです。その次に仕立屋さんが来て息子を心中させる話になりますが3人も応対すると1時間以上の長い落語になってしまうので二つの噺に分けたようです。
三代目 古今亭 志ん朝
当初は歌舞伎役者を志しており、噺家になる意志はなかったが父の志ん生から「歌舞伎役者は親が役者でないと上に行けない」吉本新喜劇に入りたいと言うと「あそこは関西人じゃないとダメだ」「噺家は扇子一本で偉くなれるんだから」と説得され入門した。父の志ん生に入門してから5年目という異例のスピードで真打に昇進し、主に八代目桂文楽の演じ方を基調としながら、のちに六代目笑福亭松鶴に心酔して豪胆さを修学し、名実共に大看板として人気を博した。七代目立川談志、五代目三遊亭圓楽、五代目春風亭柳朝と共に、若手真打の頃から東京における『落語若手四天王』と呼ばれた。他にも同世代噺家の中では『東の志ん朝、西の枝雀』と称される。同業者からの評価も非常に高く、若手の頃の志ん朝を指して八代目桂文楽は「圓朝を襲名出来るのはこの人」と父志ん生に述べた。圓朝は落語界では誰も継げない止め名であり、文楽はそれほどに志ん朝を買っていた
「さんま火事」
長屋の連中が揃って大家のところへ知恵を借りに来る。けちでみなが吝い屋(しわいや)と呼ぶ油屋のやり方があまりにも汚いので癪にさわってしょうがないと、愚痴を並べ立てると大家さんが晩飯時に長屋十八軒そろってさんまを焼こう。一軒、三匹づつ裏の空き地に七輪並べて焼いて熊さんが”河岸だ!河岸だぁ!”と叫ぶ。河岸を火事と聞き間違えるのは向こうの勝手だ、家中ひっくり返るような騒ぎになったら、みんなで笑ってやろうじゃないか・・・
三代目桂三木助
当時まではとりわけ注目もされていなかった円朝作と云われる落語「芝浜」を独自に練り上げ得意にした。以降「芝浜」は夫婦の情愛を美しく描いた名作落語として認識されるようになり、多くの落語家が口演するようになった。現在でも三代目桂三木助のものが傑作と云われることから通称「芝浜の三木助」と呼ばれる。賭博にはまっただけに博打にまつわる噺をよくした。ある日仲間の噺家が6代目三遊亭圓生に「へっつい幽霊」の稽古をつけているとき、「あなた!それじゃあ盆の使い方が悪い」と言ってサイコロの振り方を演じた。それはあまりにも真に迫っているので、圓生は感心したが、そこまでやらなくてもいいのにと思ったという。小さんとは同姓で義兄弟の杯を交わしたほどの大親友であった。この縁で最晩年に生まれた長男の名前に小さんの本名と同じ盛夫と名付ける。盛夫は後年小さんに入門し、4代目桂三木助を襲名し孫(娘の子)の康浩は5代目桂三木助を襲名した。
「貧乏花見」
上方落語の演目。江戸落語に移植され「長屋の花見(ながやのはなみ)」の演題で演じられる。東京へは3代目蝶花楼馬楽が伝えた。5代目柳家小さんが師匠の4代目柳家小さんから聞いたところによると、馬楽は「長屋中歯を食いしばる花見かな」という川柳を創作したという。持ち金のない長屋の住民が花見をするという内容である。料理などに代用品を用いる下りがある(卵焼きの代わりに沢庵漬け(こうこ)、酒の代わりに茶(お茶け)、かまぼこの代わりにおこげ(または大根)
東西の違い 佐竹昭広・三田純一編「上方落語」下巻の演目解説では、江戸落語の「長屋の花見」がすべて大家の主導で動くのに対して「貧乏花見」ではまったく大家は姿を見せない。また代用品の誇張した描写(食品の列挙や極端な服装)から「貧乏長屋の生態という現実」が伝わると述べる。この「生活感が強く出ている」という点は、3代目桂米朝も佐竹昭広との対談で触れている。
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