一之輔 ざこば 志ん朝 米朝 リク特 落語の絹の道8【落語】青菜 崇徳院
落語ch:荒獅子男乃助
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一之輔 ざこば 志ん朝 米朝 リク特 落語の絹の道8【落語】青菜 崇徳院
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0:48青菜(一) 34:50青菜(ざ) 1:05:57崇徳院(志) 1:37:48崇徳院(米) 2:12:13エンドトーク
「青菜」
夏のある暑い午後。裕福な隠居の家の仕事中に隠居から「植木屋さん。精が出ますな」と労をねぎらわれ、「冷えた柳蔭をご馳走しよう」と座敷に誘われる。隠居はさらに酒肴として鯉の洗いも出し植木屋はいい気分で舌鼓を打つ「青菜は好きかね」と隠居は手を叩いて「奥や」と台所の妻に青菜を出すように頼むと妻は「鞍馬から牛若丸が出でまして名も九郎判官」すると隠居は「ああ、義経にしておこう」と・・・原話は安永7年版「当世話」の一遍(無題)。東大落語会によれば昔は別題として弁慶で演じられたこともあったという。元は上方落語で三代目柳家小さんが江戸落語へ移植した。
春風亭 一之輔
古典落語の伝統を守りつつ現代的な感性で観客を魅了する噺家で、古典落語の名作を彼独自の感性で再構築し「型破りの中にある正統」と評されています。伝統を守りながらも現代のスタイルを取り入れていて、立川志らくや立川談笑と並びSNSを有効利用している噺家の一人、鈴本演芸場夜の部でトリを務める予定だったが、新型コロナウイルス感染症対策にかかわる政府の緊急事態宣言発令をうけ休館となったため、高座に上がる予定だった時間帯の20:10〜21:00にらくごカフェ(東京・神保町)で無観客高座をYouTube「春風亭一之輔チャンネル」から無料で生配信した。自身の真打昇進をTwitterで知った。落語協会のHPに掲載された情報を誰かがツイートしたのを偶然見て、慌てて師匠の春風亭一朝に尋ねたが、一朝も知らないという。一朝の携帯電話の充電が切れていて師匠にも本人にも昇進が伝わっていなかった。
二代目 桂 ざこば
日本橋中学校在学中、学校をさぼって千日劇場に行った際、3代目桂米朝が「浮世床」を演じるのを見て即座に弟子入り志願する。当初米朝は「学校をサボるような子は噺家にはなれん」と突き放したが、それから何日も米朝の元に通い詰めた。あるとき、米朝宅に呼ばれて「落語ができるか」と問われ、うろ覚えで我流の「浮世床」を少し話すと、傍にいた桂小米(のちの2代目桂枝雀)が「師匠、彼を(弟子に)とりましょう!」と口添えしたという。枕には定評があり、桂枝雀は生前「ざこばのマクラなぞは、もうマクラだけで、えら(すごく)落語(そのもの)でっしゃないか」と評していた。枕だけをまとめた「ざこばのざっこばらん」という演目もある。米朝一門の中では枝雀の没後、実質的に弟子筆頭として桂南光とともに米朝の存命中は補佐する形で一門の運営を主導しており、米朝没後もその地位は変わらなかった。
「崇徳院」
古典落語の演目。別題に「皿屋(さらや)」「花見扇」(はなみおうぎ)」。もとは上方落語の演目だが江戸落語にも移入された。江戸落語では3代目桂三木助の十八番とされた。一般には初代桂文治の作とされているが、5代目三遊亭圓生の速記本では、人情噺「三年目」の発端部分として演じられており、これが独立したものという説もある。熊五郎が出入りの店の大旦那から呼ばれ行くと、若旦那が具合が悪く寝込んでいるという。ある名医の見立てによると、気の病だという。いろいろ聞いてみたが誰にも心の中を打ち明けないので、気心の知れた熊さんになら心の中を明かすかも知れないから、聞き出してくれと頼まれるが・・・。上方落語にも同様の噺があり「茶漬幽霊」の題で演じられる
三代目 古今亭 志ん朝
七代目立川談志、五代目三遊亭圓楽、五代目春風亭柳朝と共に、若手真打の頃から東京における『落語若手四天王』と呼ばれた。他にも同世代噺家の中では『東の志ん朝、西の枝雀』と称される。「古今亭志ん朝」を名乗った他の2人は、いずれも名乗った期間が極めて短い。そのため「古今亭志ん朝」と記した場合、真打昇進から没するまで40年以上にわたって「志ん朝」を名乗り続けた三代目を指すことがほとんどである。落語家としては初めて高級外車を乗り回したり、豪邸を建てたりしたことで知られるが、前者に関しては父・志ん生から猛反対され、後者では男性週刊誌記者から「落語家が豪邸を建てるとは何事か」「長屋住まいを続け金に執着しない八代目林家正蔵(林家彦六)を見習え」と非難されたりした。一方では、客入りの良くない名古屋の大須演芸場を守る足立席亭の心意気に感じ、1991年から毎年独演会を行う人情家でもあった。
三代目 桂 米朝
現代の落語界を代表する落語家の一人で、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興に大きく貢献した。その功績から、1996年(平成8年)に落語界から2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2009年(平成21年)には演芸界初の文化勲章受章者となった。位階は従三位。戎橋松竹で初舞台後、長年千土地興行(後の日本ドリーム観光)に所属し、千日劇場を本拠に道頓堀角座やうめだ花月にも出演したが、1968年3月以降はフリーとなり、ホール落語、独演会、一門会を中心に活動するようになる。ラジオパーソナリティーを務めていた近畿放送の「天壇ゴールデンリクエスト」の縁で1966年7月16日、初の独演会「米朝 スポットショー」を京都府立勤労会館で開催、その流れで10月25日に現在でも続く桂米朝落語研究会をスタート。1974年、千土地時代の担当マネージャーを社長に据え芸能事務所米朝事務所を設立。現在一門の多くがここに所属する。
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