何でもできた男は、なぜ何も完成させられなかったのか|レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯
だるま思考
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何でもできた男は、なぜ何も完成させられなかったのか|レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯
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だるま思考
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レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯|『モナ・リザ』を描き「万能の天才」と呼ばれた男は、何千ページもの手稿を残しながら一冊も本を出さず、傑作の多くを未完成のまま残しました。何でもできた男は、なぜ一つのことを終わらせられなかったのか。
1452年、フィレンツェ共和国領の小さな村ヴィンチで、公証人セル・ピエロと農婦カテリーナのあいだに非嫡出子として生まれたレオナルドは、父の職業も、ラテン語も、大学も閉ざされていました。本の代わりに自分の目で確かめる「見ることの知」が、彼の方法になります。
ヴェロッキオの工房で絵・彫刻・金属加工・解剖を学び、20歳頃の『受胎告知』では、見上げる視線まで計算して形を変えていた可能性があります。1476年、24歳で匿名の告発を受けたあと、彼は自分の内面をほとんど語らなくなりました。
1482年、30歳でミラノへ。ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァへの自己推薦では、橋・要塞・大砲・戦車・水路を並べ、最後に「絵も描けます」と書き添えました。盗み癖のある少年サライを弟子にし、25年以上そばに置き続けます。
1495年から描いた『最後の晩餐』は、時間をかけたいがために選んだ実験的な技法で、完成直後から崩れ始めました。17年かけた巨大な騎馬像の粘土模型は、1499年にミラノへ侵攻したフランス兵の射撃の的になります。チェーザレ・ボルジアの軍事技師として働き、フィレンツェではミケランジェロと『アンギアーリの戦い』で競作しますが、ここでも技法の実験が裏目に出て、壁画は未完に終わりました。
30体以上の人体を解剖して心臓の弁の血流まで記録し、『モナ・リザ』は完成を宣言しないまま、晩年まで手元で描き足し続けました。1516年、64歳でフランソワ1世に招かれてフランスへ。右半身が麻痺しても研究をやめず、幾何学の文章を「なぜなら、スープが冷めてしまうから」で途切れさせ、1519年5月2日、67歳で亡くなりました。
完成させることより、理解することを選んだ一人の人間の記録です。
■ 主な参考文献
・ウォルター・アイザックソン『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(文藝春秋)
・ジョルジョ・ヴァザーリ『芸術家列伝』
・チャールズ・ニコル『レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯』
・マーティン・ケンプ『レオナルド・ダ・ヴィンチ』
・レオナルドの手稿(アトランティコ手稿、アランデル手稿、ウィンザー城王室コレクション)
※画像はすべて生成画像によるイメージです。実在の絵画・写真ではありません。
※逸話の一部(ミケランジェロとの路上の口論、鳥を逃がした話など)は同時代・後世の伝記が伝えるもので、史実として確定していないものを含みます。
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00:00 未完成だらけの万能の天才
00:57 正統な知識の外側に生まれて
02:48 ヴェロッキオ工房と、24歳の告発
05:25 「絵も描けます」と書き添えた男
07:46 『最後の晩餐』は、完成した直後から崩れ始めた
09:34 17年の夢は、兵士の的になった
11:07 鳥を逃がす男が設計した兵器、そしてミケランジェロ
14:20 人体の奥と、描き終わらない微笑み
16:52 スープが冷めてしまうから
18:58 世界を見続けた、一人の人間