80年帰れない島|硫黄島の実話を米軍の記録と3D地形で検証
再現ファイル
0:00 / 0:00
80年帰れない島|硫黄島の実話を米軍の記録と3D地形で検証
31 781 просмотр · 2 дня назад
再現ファイル
449 подписчиков
31 781 просмотр · 2 дня назад
1945年2月、東京から南へ約1,250キロの硫黄島(いおうとう)で、日米が36日間戦いました。日本兵およそ2万人が戦死し、アメリカ軍の死者はその3分の1ほど。それなのに、けがをした人まで合わせた「死傷者」では、アメリカ軍が日本軍を上回りました。映画『硫黄島からの手紙』『父親たちの星条旗』(2006年)の題材になったこの戦いを、アメリカ海兵隊の公式の記録、防衛研究所、厚生労働省の遺骨収集の記録、国土地理院の地図と標高データで読み、3D地形と断面図で再現します。
映画が描かなかった、島に残された島民103人のこと、そして今も島の人が帰って住めない理由まで。戦いを知らない方にも分かるように、最初に1分半で概要を説明しています。資料によって違う数字は、違うまま並べています。
▼ 目次
0:00 オープニング(1分半で分かる硫黄島の戦い)
3:03 第1章 島に暮らした1,000人
4:52 第2章 栗林の決断
6:00 第3章 地下18キロ
7:15 第4章 水
7:55 第5章 上陸と2つの旗
10:08 第6章 北へ、そして最後
12:28 第7章 数字で見る36日
13:58 第8章 帰れない島
15:36 エンディング
▼ この動画で分かること
・硫黄島(いおうとう)の場所と、なぜアメリカ軍がこの島を欲しがったのか
・栗林忠道中将が、海岸での決戦をやめて地下にこもった理由と、地下道・水・49℃の工事
・米軍の見積もり「1万2千〜1万3千人」と、実際の守備隊(約2倍)
・星条旗は2回立てられたこと、写真の6人のうち2人が2016年・2019年に訂正されたこと
・辞世の「散るぞ悲しき」が新聞で「口惜し」に変えられたこと
・死傷者は米軍が上回り、死者は日本が約3倍 ―― 同じ数字の2つの見え方
・島に残された島民103人と、生還した10人、疎開した島民の戦後
・今も1万1千人あまりの遺骨が島に眠り、島の人が帰って住めない理由
▼ 主な出典
・米海兵隊の公刊戦史(Bartley, Iwo Jima: Amphibious Epic, 1954/Garand & Strobridge, Western Pacific Operations, 1971/Alexander, Closing In, 1994)
・米海軍歴史遺産司令部(NHHC)の資料
・防衛研究所の資料
・厚生労働省「硫黄島における遺骨収集」(2026年7月末)
・国土地理院(地名集日本、標高タイル、2023年の地図の更新)、気象庁(火山の資料)
・石原俊『硫黄島』ほか、島民についての研究
・映画:クリント・イーストウッド監督『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(2006年)
※ 島の名前の正しい読みは「いおうとう」です(2007年に国土地理院・海上保安庁が統一)。映画の題名は「いおうじま」と読みます。
※ 地図・3D地形・断面図は、国土地理院の標高データをもとに自作した略図です(高さは強調しています)。地下道の線はイメージです。
※ 「再現イメージ」と表示した絵は、実際の場面の記録ではありません。
※ 衛星画像:NASA Blue Marble(公有)、NASA ASTER(公有)
※ 写真:米海軍・米海兵隊・米国立公文書館(公有)、Archives Branch, USMC History Division/USMC Archives from Quantico(CC BY 2.0)、硫黄島の空中写真 2022年(国土交通省、CC BY 4.0)、2度目の星条旗(Joe Rosenthal / AP)、いずれも Wikimedia Commons
※ 映画の映像・写真は使っていません。図・BGM・効果音はオリジナルです。
※ 特定の人や国を責めたり、たたえたりするための動画ではありません。
#硫黄島 #硫黄島からの手紙 #栗林忠道