豊田市はかつて「ころも」だった。名前を手放した街の700年タイムラプス #豊田市 #歴史
人類の遺産
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豊田市はかつて「ころも」だった。名前を手放した街の700年タイムラプス #豊田市 #歴史
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豊田市。車の街として知られるこの街は、かつて、別の名前で呼ばれていました。「ころも」。千年以上前の辞書にも載っている、古い名前でした。
1959年まで「挙母市(ころもし)」だったこの街は、辞書『和名抄』にも載るその名前を、なぜ自分から手放したのか。
物語は、朝もやの矢作川から始まります。山を下りた一族、洪水に追われて丘へ移った城、よそへ流れていった水と糸——出ていくものと、残るものの700年です。
⏱️ 目次
0:00 豊田市はかつて「ころも」だった — 千年以上呼ばれた名前
0:21 衣と松平郷 — 徳川家が生まれた山あいの里(1300年代)
1:17 足助と真弓山城 — 天守も石垣もない山の城
2:05 衣藩と桜城 — 一文字の「衣」が二文字の「挙母」に
2:29 矢作川の洪水と七州城 — 城が丘へ移った理由
3:09 足助の塩の道 — 足助直しと中馬の馬方
3:49 明治用水 — 水はこの町を潤さずに出ていった
4:29 繭の町・挙母 — 挙母駅と「破れころも」
5:09 原野の工場 — 町長 中村寿一の賭け(1938年)
5:57 挙母市から豊田市へ — 名前が消えた元日(1959年)
6:37 台地に並ぶ工場 — 東名高速と車の街
7:17 城の丘 — 隅櫓の再建とガラスの美術館
7:49 豊田大橋とスタジアム — 洪水の川に世界が集まる
8:29 ころもは祭りに生きている — 挙母まつりと二つの町
📍 この動画でたどる出来事
・14世紀 「衣(ころも)」と書かれた土地と、中条氏
・15世紀のはじめ 松平郷の一族が山を下りる(のちの徳川家)
・1590年 家康の関東移封で、足助の山の城が空になる
・1604年 衣藩(のちの挙母藩)が始まる
・1681年ごろ 「衣」が「挙母」と書かれるようになる
・1780年ごろ 矢作川の洪水に追われ、城は童子山の七州城へ
・江戸時代の後期 足助の塩の道 — 「足助直し」と中馬
・1879〜1880年 明治用水 / 1909年 人造石の堰
・1920年 挙母駅(いまの豊田市駅)開業 / 1922年 繭を検査する県の役所
・世界恐慌 — 「破れころも」とからかわれた町
・1935年 論地ヶ原のおよそ58万坪 / 1938年11月3日 原野の自動車工場が完成
・1945年8月14日 空襲で工場のおよそ4分の1が壊れ、翌日に終戦
・1951年 挙母市 → 1959年1月1日 豊田市
・1968年 東名高速・豊田インター / 1973年 挙母線が姿を消す
・1970年代の終わり 七州城の隅櫓を復元 / 1995年 丘の上の美術館
・1999年 豊田大橋 / 2001年 豊田スタジアム / 2019年 ラグビーワールドカップ
・いま 人口およそ41万人、製造品出荷額は全国の市町村で第1位(2023年)
この動画は、1300年から2026年までの豊田を、時間を一度も巻き戻さずに一方向のタイムラプスでたどります。数字と計測線は、資料で確認したものだけを画面に載せました。
🔎 主な出典:豊田市/豊田市史/コトバンク(挙母藩)/愛知県総合教育センター/国土交通省 多言語解説文データベース/挙母まつり関連資料 ほか
🏯 イントロの点群:挙母城(七州城)復元隅櫓の写真(Wikimedia Commons・Evelyn-rose・CC0)をもとに作成
🤖 この動画の映像・音声は生成AIを用いて制作しています。
#豊田市 #挙母 #愛知 #歴史 #日本史 #タイムラプス
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ビジネス関係のお問い合わせ: kanno321@gmail.com
視聴者層: 20〜45歳・日本|土木・建築・構造への関心層
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