戦国時代で最も残酷な「三条河原の処刑」! 戦国武将たちの処刑法がヤバすぎた…
遠藤利江子
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遠藤利江子
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戦国時代の処刑は、武将の首を斬るだけではありません。権力者が最も恐れ、そして自ら冷酷に執行したのは、妻や赤ん坊まで皆殺しにする「連座(れんざ)」という掟でした。 1595年の夏、豊臣秀吉は甥の豊臣秀次を切腹させた後、京都の三条河原でその家族39名を引きずり出し、次々と公開処刑しました。なぜ、天下人はそこまで異常な殺戮を行わなければならなかったのか。顔も知らない夫のために処刑された15歳の駒姫の悲劇と、この極限の残酷さが豊臣家の「滅亡」を呼び寄せるまでの血塗られた論理を紐解きます。
年表 1591年 豊臣秀次が関白に就任する 1593年 淀殿が拾(のちの豊臣秀頼)を出産する 1595年7月 秀次が高野山へ追放され切腹する 1595年8月 三条河原にて秀次の家族39名が処刑される 1600年 関ヶ原の戦い。最上義光らが東軍として戦う
■参考文献 ・小和田哲男『豊臣秀次:殺生関白の悲劇』(PHP新書) ・藤田達生『秀吉と海賊大名』(中公新書) ・京都市・瑞泉寺公式記録(秀次事件の経緯