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教科書には載らない「忠臣蔵」|83歳まで生きた赤穂浪士が過ごした「事件が芝居になっていった45年」

歴史教科書の袋とじ

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教科書には載らない「忠臣蔵」|83歳まで生きた赤穂浪士が過ごした「事件が芝居になっていった45年」

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歴史教科書の袋とじ
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▼目次 0:00 はじめに:知っているお話の中に 1:55 第1章 主人のそばの足軽 4:48 第2章 覚え書きの夜 7:18 第3章 四十六人の列の外 9:32 第4章 名も言わないで 14:36 第5章 雪国の村上と、1706年 17:55 第6章 育つ物語と、語らない人 21:27 第7章 最期と、10か月後 23:00 結び 元禄15年(1702)12月14日、赤穂浪士の吉良邸への討ち入り。その中に、吉田忠左衛門の組の足軽、寺坂吉右衛門がいました。 けれど、討ち入りのあと幕府が大名家に預けた浪士は「四十六人」。46人が切腹したあとも、寺坂は主人の家族のそばで国から国へ移り、83歳まで生きたと伝わります。 教科書は「赤穂浪士が主君の仇を討った」の一行で済ませますが、そこから寺坂が世を去るまでの45年のあいだに、あの夜は本になり、芝居になり、私たちの知る忠臣蔵ができあがっていきました。 寺坂が書き残した覚え書きと手紙、仲間や周りの人の記録、そして同じころにかかった芝居の本文で、その45年をたどります。 ▼この動画について ・お話は、寺坂が書き残した覚え書き『寺坂私記』と寺坂の手紙に沿っています。仲間の手紙、細川家の世話役・堀内伝右衛門の覚書、幕府の記録(御徒方の日記・『元禄年録』・『寛政重脩諸家譜』)、寺坂の家の側の碑文、土佐の『南路志』、当時の浄瑠璃・歌舞伎の本文で補っています。 ・寺坂が切腹の列にいなかったわけは、記録によって分かれます(仲間の手紙・寺坂本人の手紙・寺坂の家の側の碑)。動画では、どれか一つに決めずに並べました。 ・姫路・刈谷・古河で主人の家族のそばにいたこと、83歳で世を去ったこと、事件のことを自分から語らなかったことは、伝わっている話です。伝内が許された年と『碁盤太平記』がかかった年が同じというのは、寺坂の書き留めと手紙を合わせて読んだものです。 ・『碁盤太平記』の足軽・寺岡平右衛門を寺坂になぞらえる本もありますが、そうと言い切れる記録はありません。 ・陣太鼓を合図にした討ち入りや南部坂の雪の別れが後の時代の物、というのは、今回見つかった範囲でのことです。 ・「再現イメージ」と表示した絵と動画は、場面を思い浮かべていただくために生成AIで作ったもので、当時の資料ではありません。 ・ナレーションと登場人物の声は音声合成(ElevenLabs)です。 ▼史料・画像の出典 ・史料・肖像・地図の出典は、それぞれ映っているあいだ画面に表示しています(国立国会図書館デジタルコレクション・Wikimedia Commons ほか)。 ・地図データ © OpenStreetMap contributors(ODbL)https://www.openstreetmap.org/copyright ・海岸線・県境:Natural Earth(パブリックドメイン) あなたが初めて忠臣蔵に出会ったのは、テレビの時代劇、映画、お芝居、本のどれでしたか。よければコメント欄で教えてください。 #忠臣蔵 #赤穂浪士 #日本史