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邪馬台国を「奈良の大和」と書いた新井白石は、なぜ晩年に九州説へ変えたのか|8年後に自ら結論を覆した2つの「やまと」

棒人間日本史

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邪馬台国を「奈良の大和」と書いた新井白石は、なぜ晩年に九州説へ変えたのか|8年後に自ら結論を覆した2つの「やまと」

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1716年、江戸時代の学者・新井白石は、著書『古史通或問』に「邪馬台国は、すなわち今の大和国なり」と書きました。卑弥呼は神功皇后のことで、女王の都は奈良の大和国だという答えです。 ところが晩年、白石が自分の手で書いた巻物『外国之事調書』では、邪馬台国の横に九州の「筑後国山門郡」と記されています。 奈良の大和国と、九州の山門郡。遠く離れたこの2つの土地は、どちらも同じ「やまと」と読みます。 なぜ白石は、一度本に書いて世に出した自分の答えを、8年後に覆したのでしょうか。 1716年の『古史通或問』、水戸藩の安積澹泊と交わした手紙を集めた『新安手簡』、仙台の学者・佐久間洞巌に宛てた手紙、そして『外国之事調書』を時間の順にたどり、「魏志は実録に候」と書くまでの8年間の記録をひもときます。 【目次】 00:00 冒頭:1716年の大和説と、8年後の九州説 01:03 1 1716年『古史通或問』と「卑弥呼=神功皇后」 04:25 2 「大和の女王と九州の敵」と唐音の発見 06:58 3 1723年、水戸藩・安積澹泊への問いと「焼かれる恐れ」 10:12 4 1724年『史疑』と、もう1つの「やまと(筑後国山門郡)」 12:39 5 「魏志は実録に候」――逆転した2つの歴史書 15:04 6 結び:白石が残した未完の問いと300年論争の始まり 【史料の写本・翻刻で確かめたもの】 ・新井白石『古史通或問』(正徳6年[1716年]3月成立。国立公文書館所蔵・昌平坂学問所旧蔵写本、宮城県図書館所蔵・青柳文庫写本、国書刊行会『新井白石全集』第3巻) ・新井白石・安積澹泊『新安手簡』および附録の佐久間洞巌宛書簡(宮城県図書館所蔵・伊達文庫写本、国書刊行会『新井白石全集』第5巻) ・新井白石『外国之事調書』(国書刊行会『新井白石全集』第4巻) ・『日本書紀』巻第9 神功皇后摂政前紀、摂政39年・40年・43年・66年条の分注(『新訂増補国史大系』) ・『三国志』魏書巻30 東夷伝倭人条(魏志倭人伝) ・本居宣長『馭戎慨言』(筑摩書房『本居宣長全集』) 【研究書・辞典の記述で確かめたもの】 ・宮崎道生『新井白石の研究』『新井白石の史学と地理学』(吉川弘文館) ・荒川久寿男「新井白石と安積澹泊」(『皇學館大学紀要』) ・コトバンク(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)「新井白石」「古史通」「安積澹泊」「邪馬台国論争」 ※本編の江戸時代の月日(1716年3月、1724年正月2日・閏4月、1725年5月19日など)は、当時の暦(旧暦)の月日です。 音声:えんちょーのボイスクローン(Fish Audio) #邪馬台国 #新井白石 #卑弥呼 #魏志倭人伝 #江戸時代 #日本史 #棒人間日本史