結婚できない貴族の娘は、修道院に送られた
名もなき人々の歴史
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結婚できない貴族の娘は、修道院に送られた
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結婚する姉は金の縁取りの白い衣装で、修道院へ行く妹は虫に食われた長持を2つだけ。17世紀のヴェネツィアでは、貴族の女性の半分以上が修道女でした。1620年ごろ、19歳の貴族の娘が家を出て、司教の代理の面接を受け、修道服を着て、硬い板の寝台で眠るまでの一日を、修道女タラボッティの記録と研究者の集計からたどります。
*チャプター*
`0:00` 白い衣装の姉と、虫食いの長持2つの妹
`4:17` 家を出る朝 ── 長持と、母の指ぬき
`7:21` 司教の代理の面接 ──「あなた自身の意思は、自由ですか」
`12:06` 修道女になった娘たちの、その後
*参考文献*
Arcangela Tarabotti『L'inferno monacale』(1640年代に執筆、1990年初刊。Liber Liber 版PDF)── 虫食いの長持2つ、金で飾った白い衣装の姉、子羊のように連れていかれ家を振り返る娘、院長と鐘に呼ばれた参事会室の投票と修道院の入り用の話、悲しげな鐘、飾りを外して狭く貧しい短衣と粗い革の帯、亡夫を悼む印の頭巾、詩篇の言葉、平和の接吻、父の宴と値切り、冠、死・地獄・蛆の朗読、家で一番硬い寝台と棺を載せる台
トリエント公会議 第25総会「修道者と修道女についての教令」(1563年、英訳はHanover College Historical Texts Project)── 12歳を超えた少女への司教の面接(強制・誘い・理解・自由な意思)、強制した者の破門、1年の修練、誓願の日から5年以内の訴え、院長は40歳以上・誓願から8年以上、誓願後の外出は司教が認めた正当な理由のときだけ
Nicholas Davidson(1978)、ウォーリック大学の研究報告(PDF)── 1581年のヴェネツィアの修道院32、修道女ほぼ2,500人
Connell(2021)の表1(Jutta Gisela Sperling『Convents and the Body Politic in Late Renaissance Venice』シカゴ大学出版局、1999年、p.28からの引用)── 1581年の貴族の女性約3,400人のうち修道女1,800人あまり、1642年の約2,500人のうち約2,000人、修道女の約7割が貴族の出身、タラボッティの家が貴族に次ぐ市民の身分だったこと
Jutta Gisela Sperling『Convents and the Body Politic in Late Renaissance Venice』(シカゴ大学出版局、1999年)の出版社紹介 ──「持参金の高騰」は神話で、釣り合う夫が足りなかったとする説
Mary Laven『Virgins of Venice』(2002年。書評経由)── 持参金と家の結婚戦略を原因とみる説
ヴェネツィアの持参金上限法についてのドイツ語論文(genderopen.de、Bellavitis・Chojnackiを引用)── 1420年1,600ドゥカート、1505年3,000、1535年4,000、1551年5,000、1575年6,000、1644年に貴族の持参金20,000ドゥカートまで、実例の9,000と20,000ドゥカート
Stanley Chojnacki の研究(Guinn論文経由)── 1444年に体の不自由な娘の持参金を上限の対象外とした法
英語版Wikipedia「Barnabotti」「Venetian nobility」── 大評議会の議員になれる成人男性が16世紀半ばに約2,500人、1520年に成人男性の約6%(6.4%)が貴族
Treccani『Dizionario Biografico degli Italiani』「Arcangela Tarabotti」ほか、タラボッティの伝記 ── サンタンナ修道院、1620年の着衣、父が払った持参金1,000ドゥカート、1652年に48歳で没、同じ年に修道服を着た親友
Alexandre-Toussaint Limojon de Saint-Didier『La Ville et la République de Venise』(1680年)── 若い修道女の多くが内々には両親の絶対の意志に従っただけと打ち明け、誓願が何か分からないと答える者もいたこと
1664年、のちのトスカーナ大公コジモ3世に随行した人物(Pizzicchi)のヴェネツィアの修道院の記録 ── 格子ごしの面会室、ヴェールの下からのぞく整えた髪
Anne Jacobson Schutte『By Force and Fear: Taking and Breaking Monastic Vows in Early Modern Europe』(コーネル大学出版局、2011年)── 誓願の取り消しの手続きが難しく費用もかかり、強制された女性の多くが誓願に縛られたままだったこと(イタリアの教会の記録が中心)
英語版Wikipedia「Italian plague of 1629–1631」── 1630〜31年の疫病でヴェネツィアの人口の約3分の1が死亡
Churches of Venice「Sant'Anna」── サンタンナ修道院の閉鎖、残った31人の修道女のサン・ロレンツォ修道院への移動、建物が海軍の士官候補生の学校になったこと
Rice University「The Galileo Project」マリア・チェレステの書簡(1628年3月4日)──「三か月が、三年のように感じられる」
英語版Wikipedia「Virginia Galilei」── ガリレオの庶子の娘たちが結婚に向かないとされ、13歳ごろにフィレンツェ郊外の修道院に入ったこと
*ハッシュタグ*
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