【新幹線】なぜ横浜駅ではなく田んぼの中に新横浜駅を造ったのか
日本の巨大インフラ図解
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【新幹線】なぜ横浜駅ではなく田んぼの中に新横浜駅を造ったのか
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日本の巨大インフラ図解
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昭和39年10月1日、東海道新幹線は約170万人が暮らす横浜の中心を通らず、白鷺が舞う田んぼの真ん中に駅を造りました。
失敗ではなく計算だったその決断と、田んぼの駅が1日約20万人の玄関口になるまでの60年をたどります。
開業の日、新横浜に止まったのは各駅停車の「こだま」だけ。乗り換え先の横浜線は単線で、昼間は1時間に2〜3本でした。横浜市は横浜駅や新子安への駅設置を望みましたが、駅は思いもよらない場所に建ちます。新幹線のカーブの基準、昭和14年に始まった「弾丸列車」計画、そして一本のローカル線。駅の場所を決めた条件を、ひとつずつ解きほぐします。
駅のまわりは「勝負田」「蛇袋」と呼ばれた水はけの悪い湿地でした。開業から10年以上たっても、不動産屋が岐阜羽島と並べて「煮ても焼いても食えない」と呼んだ土地が、地価10倍、さらにその10倍近くまで跳ね上がっていきます。
平成14年、日韓ワールドカップの決勝ブラジル対ドイツの舞台になった横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)。そのスタジアムが、洪水をためる鶴見川多目的遊水地の中に高床式で立っている理由もご紹介します。
そして、駅の住所が今も「港北区篠原町2937」のままなのはなぜか。その答えは最後にお話しします。
00:00 昭和39年、田んぼの中の新幹線駅
02:45 新幹線はなぜ寄り道できないのか
04:50 戦前の「弾丸列車」計画が残した線
07:15 横浜駅と新子安はなぜ選ばれなかったのか
09:30 菊名でもない、一本のローカル線との交差点
11:40 「勝負田」と「蛇袋」、湿地の駅の開業
15:00 「煮ても焼いても食えない」と言われた20年
18:40 ワールドカップ決勝のスタジアムは遊水地の中
21:00 全列車停車と相鉄・東急の乗り入れ
22:20 篠原町2937、最後の答え合わせ
#新幹線 #新横浜 #東海道新幹線