教科書には載らない"秀吉の母・大政所のその後"|奈良の僧が日記に残した「天下人の母の最期」【豊臣兄弟!】
歴史教科書の袋とじ
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教科書には載らない"秀吉の母・大政所のその後"|奈良の僧が日記に残した「天下人の母の最期」【豊臣兄弟!】
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▼目次
0:00 はじめに:奈良の僧が書いた一行
1:42 第1章 人質から戻った母
5:46 第2章 「三十日でも」
11:19 第3章 見送りの4年:朝日・秀長・鶴松
17:50 第4章 7月22日の明け方
24:00 結び
天正20年(1592)の夏、奈良・興福寺の僧が日記にこう書きました。「去る22日の明け方、大政所が亡くなったそうだ。76歳だそうだ」。
大政所は豊臣秀吉の母。家康のもとへ人質に出された話はよく知られていますが、母の人生は人質から戻ったあとも6年続きました。
倒れるたびに呼ばれて駆けつけ、命を祈ってくれた家族――娘の朝日、次男の秀長、孫の鶴松は、一人ずつ母より先にいなくなります。そして最後に母が倒れたとき、秀吉は遠い肥前名護屋の陣にいました。
秀吉が「三年でも、二年でも、三十日でも」と祈りを頼んだ母の晩年を、奈良の僧・英俊の『多聞院日記』でたどります。
▼この動画について
・お話は『多聞院日記』と『史料綜覧』の記事に沿っています。大政所の年齢(76歳)は英俊が書いた数で、77歳・80歳とする本もあります。秀吉が気を失ったという話は『太閤記』(江戸時代のはじめにまとめられた本)によるものです。
・「再現イメージ」と表示した絵と動画は、場面を思い浮かべていただくために生成AIで作ったもので、当時の資料ではありません。
#大政所 #豊臣秀吉 #日本史