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秀吉に二度許された男は、なぜ三度目に腹を切らされたのか。黒百合の伝説と佐々の血のゆくえ|佐々成政のその後【豊臣兄弟!】

ひもとく日本史

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秀吉に二度許された男は、なぜ三度目に腹を切らされたのか。黒百合の伝説と佐々の血のゆくえ|佐々成政のその後【豊臣兄弟!】

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天正16年(1588年)、肥後の一揆の責めを負わされ、尼崎の寺で腹を切らされた佐々成政。富山には「立山に黒百合が咲いたら、佐々の家は滅びる」という呪いの言葉が伝わっています。 信長の黒母衣衆の筆頭、秀吉への二度の反抗、真冬のさらさら越え、肥後国衆一揆、そして成政が亡くなったあと——その血と名は、どこへたどり着いたのか。北野大茶湯が1日で打ち切られた理由とされる一説や、刀狩令へのつながりもたどります。 ▼目次 0:00 はじめに 1:02 第一章 黒母衣衆の筆頭 2:46 第二章 二度の降伏 5:51 第三章 早百合と黒百合 8:25 第四章 肥後の一揆 12:07 第五章 尼崎の法園寺 14:21 第六章 肥後に残された者たち 16:25 第七章 将軍の妻になった孫娘 19:34 第八章 佐々の名のゆくえ 21:33 結 黒百合は咲いたのか ▼記録・伝承について ・早百合の話と黒百合の呪いは、のちの時代に広まった伝説で、本当にあったことかは分かっていません。北政所と黒百合の話も、のちの創作と考えられています。 ・成政の生まれ年、さらさら越えの道筋、北野大茶湯が1日で終わった理由、肥後の一揆の原因、隈部一族の最期、はらわたの話、辞世の歌、孝子と家光の夫婦仲などには諸説あります。 ・佐々宗淳が「助さん」のモデルとされる話は、通説によるものです。 ※日付は旧暦、年齢は数え年です。 ※肖像画・浮世絵・屏風・写真以外のイラストはAIで生成したイメージで、顔や衣装、場面は想像によるものです。地図・図解は概略図です。 ▼肖像画・浮世絵・屏風・写真(Wikimedia Commons) ・パブリックドメイン:歌川芳幾『太平記英勇伝』(佐々陸奥守成政)、佐々成政のさらさら越え(歌川芳形)、前田利家像、柴田勝家像、豊臣秀吉像(狩野光信・高台寺)、徳川家康像(狩野探幽)、織田信雄像、伝 淀殿画像(奈良県立美術館)、立花宗茂像、加藤清正像、徳川家光像、崇源院(お江)像、徳川家綱像、徳川光圀像、長篠合戦図屏風、小牧長久手合戦図屏風、本能寺焼討之図(楊斎延一)、聚楽第図屏風(三井文庫)、大坂夏の陣図屏風、神通川(ネプチューン) ・富山城・常願寺川・熊本城・北野天満宮:663highland(CC BY 2.5) ・比良城跡・方広寺:Asturio Cantabrio/クロユリ・鍬崎山:Alpsdake/北野大茶湯之址:Gretchen Mittwer(以上 CC BY-SA 4.0) ・法園寺:KENPEI/立山:Mamusi Taka/佐々成政剃髪之地:立花左近(以上 CC BY-SA 3.0) ・金沢城:KimonBerlin(CC BY-SA 2.0)/クロユリ:yamatsu(CC0) ▼地図 地理院タイル(標高タイル)を加工して作成(国土地理院) ▼BGM OpenTracks(旧DOVA-SYNDROME) 「雪化粧」「花一華」 MAKOOTO /「白に染まって」「秋、深まりて」 蒲鉾さちこ /「沈黙の聖堂」「雨に消える声」「faded away」「Storyteller」 のる /「燦々雨」 ゆうり /「懐かしの里」 今川彰人オーケストラ /「雪月花」 まんぼう二等兵 /「神様の道」 キュス /「ノスタルジア」 こばっと ▼ナレーション VOICEVOX:青山龍星 肥後の一揆は、成政ひとりの失敗だったと思いますか。それとも、秀吉の九州の国分けそのものに無理があったと思いますか。ぜひコメントで聞かせてください。 チャンネル登録をしていただけると、とても励みになります。 #佐々成政 #豊臣兄弟 #日本史