18世紀プリンセスたちの美容の代償が辛すぎた。
世界のプリンセスたち
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18世紀プリンセスたちの美容の代償が辛すぎた。
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世界のプリンセスたち
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「私は世界中の前でルージュを塗り、手を洗います」。14歳のマリー・アントワネットが母に書いた一文です。18世紀の宮廷で、美しくあることは才能ではなく義務でした。鉛を使ったファンデーションの悪循環、群衆に追われたガニング姉妹、息を苦しくしたコルセット、1ポンドの髪粉と洗えない髪。美しさのために、肌も呼吸も髪も差し出した代償を、伝記と当時の書簡からたどります。
*チャプター*
`0:00` 「世界中の前でルージュを塗る」── 14歳の手紙
`1:36` 美しさにも、値段があった
`4:12` 白い肌の裏にあった、鉛
`7:36` 栄光と群衆 ── ガニング姉妹
`12:41` 髪粉1ポンドと、洗えない髪
*参考文献*
Antonia Fraser『Marie Antoinette: The Journey』(2001年)
── 1770年7月12日付の母マリア・テレジア宛の書簡(正午、誰でも入れる部屋でルージュを塗り手を洗うという日課の報告)、ルージュを魅力ではなく身分のしるしとする説明と、ぼかさずはっきり描く塗り方、歯の矯正がおよそ3か月だったこと
Melanie Clegg『Marie Antoinette: An Intimate History』(2015年)
── 嫁入り前の歯の矯正を1768年とする記述、パリから呼ばれた髪結いラルセヌールが高い額とふぞろいな生え際を髪型で目立たなくしたこと
Pen & Sword Books ブログ「Marie Antoinette: Dauphins and Dentistry」
── 歯科医ピエール・ラヴランが、馬蹄形の金属の枠と金の線でできた「バンドー」で歯並びを整えたこと
History of Royal Women「The Year of Marie Antoinette – Marie Antoinette's extravagance」
── 王妃の衣装の年間予算12万リーヴル、1776年に小物だけで10万リーヴルを使った記録
英語版Wikipedia「Venetian ceruse」「Lead white」
── 主成分が塩基性炭酸鉛であること、鉛の板を酢の壺に封じて数週間置く製法、1688年のレシピ「水、酢、鉛」、ヴェネツィア産が上等で高価だったこと、腹痛・麻痺・脱毛・肌荒れ、酢が肌の水分を奪うこと、長期使用で肌がまだらになり剥がれて痕が残ったという皮膚科学の報告(Petit, 2019)
The Conversation(2022年)「Dying for makeup: lead cosmetics poisoned 18th-century European socialites in search of whiter skin」
── 鉛白のメイクを再現すると、しわやシミがぼやけて肌がなめらかに見えたという復元実験
Science Museum Group ブログ「Dangerous beauty: hazardous chemicals and poisons in historic cosmetics」
── ルージュの原料(朱=硫化水銀、ベニバナ、カルミン)、肌を白く見せるローションの塩化第二水銀、危険が当時から知られながら使われ続けたこと
英語版Wikipedia「Cochineal」
── エンジムシ約7万匹で染料およそ450グラム(1ポンド)
英語版Wikipedia「Atropa belladonna」
── ルネサンス期のイタリアで瞳孔を広げるために使われたこと、名前の由来「美しい女性」、失明すると「言われた」こと
Horace Walpole の書簡(Peter Cunningham 編『The Letters of Horace Walpole』)
── 1751年6月18日(持参金のない二人のアイルランドの娘、公園やヴォクソールで群衆につきまとわれる)、1751年8月31日(ハンプトン・コートの「美人の間」)、1752年2月27日(夜の12時半、メイフェアの礼拝堂、ベッドのカーテンの輪)、1752年3月23日(宮廷で貴族が椅子や机に上った)、1752年5月13日(ヨークシャーの宿の700人)、1752年7月27日(ウスターの靴屋の2ギニー半、コヴェントリー伯爵がナプキンでルージュを拭き取った件)
Dictionary of Irish Biography「Gunning, Maria」
── アイルランドの貧しい地主階級の出身、1750年12月2日の宮廷への出仕、1759年6月にハイドパークで群衆に囲まれ国王ジョージ2世が護衛をつけたこと、1760年に結核とされる死
英語版Wikipedia「Maria Coventry, Countess of Coventry」
── 1748年、ダブリン城の舞踏会に劇場の舞台衣装を借りて出たこと、死因と鉛のファンデーションとの関係が確かでないこと
Colleen R. Gau「Physiologic effects of wearing corsets: studies with reenactors」(1998年、アイオワ州立大学 博士論文)
── 復元コルセットを自然なウエストより約3インチ小さく締めた16人で、一回換気量が平均約9%(2〜29%)減少、休むと回復し1日の着用で重い影響はなかったという結果
Silhouettes「History of Stays 1740–1780」、英語版Wikipedia「Corset」「Tightlacing」
── 18世紀のステイズの逆円錐形、クジラのヒゲとバスク、らせん状の紐と手助けが要ったこと、19世紀のタイトレーシングとの違い
Hyland House「18th Century Children's Stays」
── 子ども用のステイズがあったこと
Geri Walton「Hair Powder: History of Its Popularity and Unpopularity」
── メアリー・フランプトンの回想「1ポンド、ときには2ポンド」、ふいご・パフ・円錐形のマスク・粉よけのガウン・粉部屋
Regency History「Hair powder and pomatum」、英語版Wikipedia「Pomade」
── 髪粉の原料(小麦粉、細かく挽いたでんぷん)、熊の脂やラードのポマード
英語版Wikipedia「Duty on Hair Powder Act 1795」
── 1795年5月5日に始まった年1ギニーの髪粉税、初年度の税収20万ポンド、「ギニー・ピッグ」という呼び名
英語版Wikipedia「Pouf」
── 1770年代のポワフの作り方(金属の枠・付け毛・詰め物)、1〜2週間そのまま保ったこと、枕を重ねて眠ったこと
This is Versailles, Madame ブログ「The Coiffure à l'Enfant」「The Queen's Condition」、英語版Wikipedia「Léonard Autié」
── 出産後の抜け毛と「子どもの髪型」、年代を1781年ごろとする資料が多いこと、レオナールが遅くとも1772年から髪結いを務めたこと
*ハッシュタグ*
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