【信康事件・築山殿】「信長に逆らえなかった家康」という話は、どこから来たのか
歴史のよりみち
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【信康事件・築山殿】「信長に逆らえなかった家康」という話は、どこから来たのか
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天正7年(1579)、徳川家康の正室・築山殿と、
嫡男・松平信康が、相次いで死に至りました。
この出来事は、家康が織田信長に命じられ、逆らえずに
妻子を死なせた、と語られてきました。
この動画では、その「信長の命令」という話が、
いつの誰の記録に書かれているのか、事件の年に近い記録は
信長の関わりをどう伝えているのかを、確かめます。
命令の筋を詳しく書いた書物は、
事件から四十年以上あとのものとされます。
事件の年の書状の引用、のちの時代の書物、研究者の見方を分けて、
確認できること・見解が分かれること・確認できないことを
整理します。
命令があったとも、なかったとも、この動画は断定しません。
【関連動画】
同じ徳川家の重臣の出奔を扱った回です。
【石川数正の出奔】家康の重臣はなぜ秀吉のもとへ移ったのか
• 【石川数正の出奔】家康の重臣はなぜ秀吉のもとへ移ったのか
【チャプター】
0:00 はじめに
0:46 第一章 この話はどこから来たか
3:11 『三河物語』が書いた筋
5:36 第二章 家康自身は何と書いたか
9:39 第三章 なぜ命令と書いたか
13:26 第四章 結局、何が分かったか
16:28 第五章 なぜこの筋が残ったか
18:30 エンディング
【主な出典・参考文献】
・黒田基樹『徳川家康の最新研究』(朝日新書、2023)の著者本人の文章(PRESIDENT Online)
https://president.jp/articles/-/68422
・本多隆成『徳川家康の決断』(中公新書、2022)の著者本人の文章(婦人公論.jp 連載 第2回・第3回)
https://fujinkoron.jp/articles/-/8807
https://fujinkoron.jp/articles/-/8940
・平山優『徳川家康と武田勝頼』(幻冬舎新書、2023)の一部(幻冬舎plus)
https://www.gentosha.jp/article/23665/
https://www.gentosha.jp/article/23664/
・『三河物語』(大久保忠教著。Wikisource入力テキスト)
https://ja.wikisource.org/wiki/%E4%B8...
・太田牛一『信長公記』(我自刊我書本。Wikisource入力テキスト)
https://ja.wikisource.org/wiki/%E4%BF...
※書状・日記・『安土日記』『当代記』『松平記』は、上記の研究者の文章などを通じて確認した範囲です(詳しくは【注記】)。
【画像・音声について】
本編の映像素材(情景、人物関係図、地図・図解、書状や書物の内容を示すカード、章タイトル画面など)36点は、すべてChatGPT(OpenAI)の画像生成機能によるAI生成のオリジナル表現で、実際の肖像画・史料写真・当時の記録ではありません。
本編に、登場人物の顔や肖像は描いていません。
書状・日記・書物を示したカードや図は、実際の史料の写真ではなく、内容を要約して示したものです。
地図は生成AIによる簡略図で、位置は概略です。国土地理院が作成した地図そのものではなく、正確な縮尺・位置・距離を示すものではありません。
本編BGMは ACE-Step 1.5 によるオリジナル生成です。
ナレーションは音声合成ソフトウェア VOICEVOX(VOICEVOX:剣崎雌雄)による合成音声です。
【注記】
本編は、事件の年に近い記録と、のちに書かれた書物とを分けて、確認できる範囲を整理したものです。
家康が堀秀政にあてた書状(天正7年8月8日付)、『家忠日記』、『安土日記』『当代記』『松平記』などの内容は、黒田基樹氏・本多隆成氏・平山優氏・谷口克広氏らの文章による引用・紹介を通じて確認したもので、書状・日記・写本の原本や原文は確認していません。
書状の文面は、谷口克広氏の引用を通じて確認した範囲です。「お取りなし」の主体は、引用された文面には明示されていません。
『三河物語』と『信長公記』は、Wikisourceの入力テキストを検索して確認しました。画像との照合はしておらず、『信長公記』は刊本1種のみで、『安土日記』など他の諸本は確認していません。
黒田氏・本多氏・平山氏の見解は、各氏の著書の一部を再編集した一般向けWeb記事で確認した範囲です。書籍全体は確認していません。
「信長の命令はなかった」と言い切れるわけではありません。命令説を採る研究者も多いと、本多氏は述べています。通説が完全な誤りだとも言えません。
築山殿の最期が自害か殺害か、築山殿・信康と武田家との内通の有無と程度は、史料や研究者によって分かれ、確認できません。
史料が乏しい理由は、本多氏の推測として紹介したもので、廃棄や隠蔽があったことを示す史料は確認できていません。
月日は、特に断らない限り当時の暦(旧暦)です。
家康・信長・築山殿・信康・酒井忠次らの心の内は、史料から確認できる範囲を超えて断定していません。
最後までご覧いただきありがとうございます。
当チャンネルでは、戦国時代の出来事を、背景と因果関係から史料に基づいて読み解いています。
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#信康事件 #築山殿 #徳川家康 #戦国時代 #日本史解説