Перейти к содержимому

【本能寺後の光秀と山崎の戦い】誰に何を求め、各勢力はどう応じたと言えるのか

歴史のよりみち

0:00 / 0:00

【本能寺後の光秀と山崎の戦い】誰に何を求め、各勢力はどう応じたと言えるのか

79 просмотров · 7 дн. назад
歴史のよりみち
31 подписчик
79 просмотров · 7 дн. назад
天正10年(1582)6月2日、家臣の明智光秀が本能寺で織田信長を討ち、約11日後の6月13日、山崎の戦いで羽柴秀吉方に敗れました。 この11日間は、「三日天下」「味方がつかず孤立した」と 語られることが多くあります。 ところが、本能寺の後に光秀が出した書状は、 確認されているものが2通と説明されており、 そこには光秀が誰に何を求めたかが書かれています。 この動画では、「光秀は誰に何を求め、各勢力は どう応じたと言えるのか」、そして「加わらなかった理由は、 史料からどこまで分かるのか」を、光秀自身の書状・ 同じ時代の日記・後の時代の軍記や家譜に分けて検証します。 光秀がなぜ信長を討ったのか、その動機や黒幕については扱いません。 動いた者、動かなかった者、記録からは分からない者を並べ、 孤立だったかどうかを一つの答えに決めることはしません。 【関連動画】 山崎の戦いのあと、秀吉が柴田勝家と争った戦いを扱った動画です。 「1か月続いた対陣は、なぜ数日で崩れたのか?|賤ヶ岳の戦い」    • 1か月続いた対陣は、なぜ数日で崩れたのか?|賤ヶ岳の戦い   【チャプター】 0:00 冒頭 三日天下と、孤立という通説 0:55 第一章 何が起きていたか 3:45 第二章 光秀を取り巻く条件 7:42 第三章 光秀の書状が示す手 12:11 第四章 動いた者と動かなかった者 15:36 第五章 分からない者と結末 19:31 第六章 言えること・言えないこと 23:42 エンディング 【主な出典・参考文献】 ・永青文庫「明智光秀覚条々」(天正10年6月9日付、細川藤孝・忠興宛)の紹介(永青文庫公式X投稿)/熊本大学永青文庫研究センター「永青文庫叢書 細川家文書」 https://x.com/eiseibunko/status/12676... https://eisei.kumamoto-u.ac.jp/resear... ・三重大学プレスリリース資料(藤田達生、2017年9月6日)「美濃加茂市民ミュージアム所蔵(天正10年)6月12日付光秀書状」/日本経済新聞「謀反直後の光秀書状原本 室町幕府再興説裏付けか」 https://www.mie-u.ac.jp/R-navi/releas... https://www.nikkei.com/article/DGXLZO... ・文化遺産データベース(文化庁)「信長公記〈自筆本〉」(太田牛一の自筆本・建勲神社蔵) https://online.bunka.go.jp/db/heritag... ・渡邊大門「本能寺の変。細川藤孝(幽斎)・忠興父子は、なぜ明智光秀に味方しなかったのか?」(Yahoo!ニュース エキスパート) https://news.yahoo.co.jp/expert/artic... ・『兼見卿記』天正10年6月条(吉田兼見の日記)の紹介(戦国ヒストリー) https://sengoku-his.com/630 ※いずれも、書状・日記・『信長公記』の原文ではなく、研究機関・報道・研究者などによる紹介を通して確認した内容です(詳しくは【注記】)。 【画像・音声について】 本編の映像素材(人物・情景のイラスト、地図・図解、書状・日記や説の要旨を示すカード、章タイトル画面など)39点は、すべてChatGPT(OpenAI)の画像生成機能によるAI生成のオリジナル表現で、実際の肖像画・史料写真・当時の記録ではありません。 明智光秀の姿は、実在の肖像を再現したものではなく、後世の想像によるイラストです(画面内に、実際の人物像ではない旨の注記があります)。 書状や日記、説を示した図解・カードも、実際の史料の写真ではなく、内容を要約して示したものです。 本編BGMは ACE-Step 1.5 によるオリジナル生成です。 ナレーションは音声合成ソフトウェア VOICEVOX(VOICEVOX:剣崎雌雄)による合成音声です。 【注記】 本編には、光秀自身の書状、同じ時代の日記、後の時代の軍記や家譜、研究者の整理、この動画自身の推測が含まれます。本編では、それぞれを分けて示しています。 書状・日記・『信長公記』は、原本や翻刻の全文ではなく、永青文庫・三重大学・報道・研究者や自治体などによる紹介を通して確認した範囲の内容です。原文は確認できていません。 光秀の書状として確認できるのは細川宛と土橋宛の2通で、この数は永青文庫の2020年時点の説明です。ほかの書状がなかったとは言えません。 近江・若狭の動き、筒井順慶の動き、山岡景隆らの動きは、日記や『信長公記』の紹介を通して確認した範囲で、典拠の原文は確認できていません。京極高次が光秀方だったかどうかは、説明が分かれています。 光秀方に加わらなかった理由は、同時代の史料からは確認できず、研究者の整理や推測にとどまります。単一の理由には断定していません。 洞ヶ峠の逸話と「三日天下」の言い回しの出所・成立時期は、確認できていません。『惟任退治記』『川角太閤記』『明智軍記』の本文も確認できておらず、根拠には使っていません。 兵力・日付・光秀の最期の経緯などは、紹介によって幅があり、確定していません。月日は、特に断らない限り当時の暦(旧暦)です。 光秀をはじめ登場人物の内心・動機は、史料から断定できないため断定していません。 最後までご覧いただきありがとうございます。 当チャンネルでは、戦国時代の出来事を、背景と因果関係から史料に基づいて読み解いています。 よろしければチャンネル登録もお願いいたします。 #明智光秀 #山崎の戦い #本能寺の変 #戦国時代 #日本史解説