【大坂の陣】「約束を破って堀を埋めた」は本当か|豊臣方自身が壊す役目を負う書状
歴史のよりみち
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【大坂の陣】「約束を破って堀を埋めた」は本当か|豊臣方自身が壊す役目を負う書状
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慶長20年(1615)5月、大坂城は落ち、豊臣家は滅びました。
その前、冬の陣の和睦のあとに、大坂城の堀は埋められています。
この埋め方には、「家康は堀を外側だけ埋めると約束しながら、
その約束を破って内側の堀まで埋めた」という話が語られます。
ところが、その内側の堀を壊す役目を、約束を破られたはずの
豊臣方自身が受け持つ分担になっていた、と書く書状が
紹介されています。
この動画では、「約束を破って堀を埋めた」という話は本当なのか、
豊臣方は堀を埋めることを了承していたのかを、
出来事に近い記録とのちの時代の書物に分けて確かめます。
「外側だけ」と書くのはのちの書物で、和睦のあとの処置を書いた
日記や書状の紹介は、少なくとも二の丸まで埋めると書いています。
惣構だけと書く記録は、紹介された範囲では見当たりません。
豊臣方も堀を壊すことを了承していた可能性は、
有力な見解として示されていますが、定説とは言えません。
条件の文言は原典で確かめられておらず、
家康に落ち度がなかったとも言えません。
家康や豊臣方の内心、冬の陣・夏の陣の戦闘の経過は、
この動画では扱いません。
【関連動画】
関ヶ原の戦いのとき、毛利輝元がなぜ大坂城にとどまったのかを扱った動画はこちらです。
• 西軍総大将・毛利輝元は、なぜ関ヶ原に出陣しなかったのか?|史料で検証
【チャプター】
0:00 序章
0:53 第一章 最初に語ったのは誰か
6:16 第二章 近い記録は何と書くか
8:39 第三章 豊臣方は了承したのか
13:49 第四章 どこまで言えるのか
16:01 第五章 なぜ話は残ったか
18:25 エンディング
【主な出典・参考文献】
・渡邊大門「惣構の破却、堀などの埋め立ては家康の謀略だったのか」(Yahoo!ニュース エキスパート。『本光国師日記』『大坂陣日記』・細川忠利・浅野忠吉の書状・『三河物語』の紹介)
https://news.yahoo.co.jp/expert/artic...
・渡邊大門「大坂冬の陣後、豊臣方はいかなる条件で徳川方との和睦に合意したのか」(Yahoo!ニュース エキスパート)
https://news.yahoo.co.jp/expert/artic...
・呉座勇一「大坂城内堀の埋め立ては謀略か?」(アゴラ言論プラットフォーム、2023年12月29日)
https://agora-web.jp/archives/2312280...
・フレデリック・クレインス「大坂の陣の講和は、家康の陰謀だったのか?」(現代ビジネス/gendai.media)
https://gendai.media/articles/-/57477
・「大坂の陣」(日本大百科全書〔ニッポニカ〕、岡本良一執筆・コトバンク)
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5...
・「大坂の陣」関係文書(柏原市。『梵舜日記』慶長20年5月8日条の紹介を含む)
https://www.city.kashiwara.lg.jp/docs...
ほかに、渡邊大門氏の別記事(【戦国こぼれ話】)、PRESIDENT Onlineの香原斗志氏・長屋隆幸氏の記事、事典(コトバンク)、Wikipediaも参照しました(いずれも二次紹介です)。
【画像・音声について】
本編の映像素材(情景のイラスト、地図・図解、史料や説の要旨を示すカード、章タイトル画面など)34点は、すべてChatGPT(OpenAI)の画像生成機能によるAI生成のオリジナル表現で、実際の肖像画・史料写真・当時の記録ではありません。
城や人物の姿は想像によるイラストで、実際の大坂城や人物の姿を再現したものではありません。
書状・日記・書物・事典のカードは、実際の史料の写真ではなく、内容を要約して見せるための表現です。
地図・図解(方広寺と大坂城の位置図、城の区画の模式図など)は生成AIによる簡略図です。位置図に表示している「国土地理院(地理院地図・簡略化した海岸線)」は、参考にした元地図の出典表示で、国土地理院が作成した地図そのものではなく、正確な縮尺・位置・距離を示すものではありません。
本編BGMは ACE-Step 1.5 によるオリジナル生成です。
ナレーションは音声合成ソフトウェア VOICEVOX(VOICEVOX:剣崎雌雄)による合成音声です。
【注記】
本編は、「約束を破って堀を埋めた」という話を、出来事に近い記録とのちの時代の書物に分けて確かめる通説検証です。
紹介した日記・書状・書物の内容は、渡邊大門氏・呉座勇一氏・フレデリック・クレインス氏らの論考や解説、事典、自治体の解説などを通した紹介に基づき、原文・原本は確認できていません(出典のすべてが二次紹介です)。
『大坂陣日記』の成立年と書き手、細川忠利・浅野忠吉の書状の日付と宛先は確認できていません。引用は紹介者の要約で、逐語でないものがあります。
笠谷和比古氏・曽根勇二氏・岡本良一氏らの見解は、紹介を通した範囲での整理で、本文を確認できていないものがあります。笠谷氏の見方は有力な見解とされますが、定説とは言えません。
「惣構だけと書く記録」「豊臣方の抗議の記録」が見当たらないというのは、紹介された範囲での指摘で、なかったことの証明ではありません。
条件の文言、堀を埋めた人と範囲は、史料や研究者の間で見解が分かれ、本編では決めていません。
家康・淀殿・秀頼・大野治長ら関係者の内心や意図は、史料から直接確認できないため、本編では断定していません。この動画は「豊臣方は了承していた」「家康に落ち度はなかった」「初めから豊臣家を滅ぼすつもりだった」のいずれも断定しません。
最後までご覧いただきありがとうございます。
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#大坂の陣 #豊臣家滅亡 #徳川家康 #戦国時代 #日本史解説