20261011礼拝メッセージ「すべては神のみわざ」伝道者の書8:9-17
大内福音教会
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伝道者8:9私はこのすべてを見て、日の下で行われるいっさいのわざ、人が人を支配して、わざわいを与える時について、私の心を用いた。:10そこで、私は見た。悪者どもが葬られて、行くのを。しかし、正しい行いの者が、聖なる方の所を去り、そうして、町で忘れられるのを。これもまた、むなしい。:11悪い行いに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は悪を行う思いで満ちている。:12罪人が、百度悪事を犯しても、長生きしている。しかし私は、神を恐れる者も、神を敬って、しあわせであることを知っている。:13悪者にはしあわせがない。その生涯を影のように長くすることはできない。彼らは神を敬わないからだ。:14しかし、むなしいことが地上で行われている。悪者の行いに対する報いを正しい人がその身に受け、正しい人の行いに対する報いを悪者がその身に受けることがある。これもまた、むなしい、と私は言いたい。:15私は喜びを賛美する。日の下では、食べて、飲んで、楽しむよりほかに、人にとって良いことはない。これは、日の下で、神が人に与える一生の間に、その労苦に添えてくださるものだ。:16私は一心に知恵を知り、昼も夜も眠らずに、地上で行われる人の仕事を見ようとしたとき、:17すべては神のみわざであることがわかった。人は日の下で行われるみわざを見きわめることはできない。人は労苦して捜し求めても、見いだすことはない。知恵ある者が知っていると思っても、見きわめることはできない。
(*15節の「快楽」を「喜び」と変える)
「なぜ悪い人が栄えることがあるのか?善人が報われずに亡くなることもあるのでは?正義は最終的に実現されるのか?」そういう疑問を持っておられる方が実際におられます。その一つの答えとなるのではと伝道者の書8章を紹介しました。
その際、改めて「伝道者の書」を読んでみて、すばらしい神の御言葉であることがわかりました。以前、冒頭の「空の空。伝道者は言う。空の空。全ては空。」1:2を読んで、この書は空虚な内容で、読んでも恵まれない。と私は頭から決めつけていました。でも、思い出してみると、「伝道者の書」は
伝道者の書3:11神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
など、印象的で美しい、神の御言葉に満ちています。実際、「伝道者の書」で実践している御言葉もあります。改めて読んでみて、1節たりとも、この節は、神の御言葉ではないと思わせるものはありませんでした。
1・現実
:11悪い行いに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は悪を行う思いで満ちている。:12罪人が、百度悪事を犯しても、長生きしている。
:14しかし、むなしいことが地上で行われている。悪者の行いに対する報いを正しい人がその身に受け、正しい人の行いに対する報いを悪者がその身に受けることがある。
「
伝道者の書」には、神の知恵が与えられたソロモン王を通して描かれる、この世の現実があります。その代表的とも言える現実が、悪者が長生きし、悪者が正しい人が受けるべき報いを受けているというものです。またそれは、私たちも耳にし、目にする現実です。でも、また、悪者がどうなのかという真実も「伝道者の書」は書いています。得をしている悪者が幸せかというとそうではなく
:13悪者にはしあわせがない。その生涯を影のように長くすることはできない。彼らは神を敬わないからだ。
逆に、
:12罪人が、百度悪事を犯しても、長生きしている。しかし私は、神を恐れる者も、神を敬って、しあわせであることを知っている。
正しい者とまでは言い切れないにしても、神を恐れ、悪の道には行かないようにしている人で、報いられない人も、神を敬うことによって幸せであることを知っていると、伝道者(ソロモン王)は言うのです。この「伝道者の書」の結論が
伝道者12:13結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。:14神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。
です。厳しい現実の中で、「伝道者の書」は神を恐れることを勧めています。神を恐れるとはどう言うことでしょうか?
2・喜びを賛美する
:15私は喜びを賛美する。日の下では、食べて、飲んで、楽しむよりほかに、人にとって良いことはない。これは、日の下で、神が人に与える一生の間に、その労苦に添えてくださるものだ。
新改訳聖書(二版、三版、2017)や新共同訳は、שִׂמְחָהシムカーを「快楽」と訳しています。「快楽」というと廃退的な喜び、不道徳な喜びというイメージがありますが、実際שִׂמְחָהシムカーは、元々は普通の「喜び」という意味です。他の聖書では「喜び」「歓喜」と言った訳にしています。ソロモン王が晩年、700人の王妃と300人の側女を持ち、そういったいろいろな宗教をもつ彼女たちの影響でソロモン王の心が神から離れていったことを念頭に、「私は快楽を賛美する。」という訳にしたのでしょうか?私は、15節のヘブル語原文から、שִׂמְחָהシムカーを素直に「喜び」と訳し、15節の冒頭は「私は喜びを賛美する。」としました。
悪者が長生きをし、栄えている。そんな空しい、不条理な現実を前にして、私たちはどうしたら良いでしょうか?それは、喜ぶことなのです。主は私たちの労苦に「喜び」を添えてくださるのです。飲食をして喜んで良いのです。ただ、飲食に関しては、具体的には、お酒で人をつまずかせることもあります。ですから、新約聖書ではこう言っています。
ローマ14:17なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。
聖霊によって喜ぶのです。
1テサロニケ5:16いつも喜んでいなさい。:17絶えず祈りなさい。:18すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
全てのことについて感謝するとは、全てのことを感謝を持って受け入れるということです。そのためには、絶えず祈ることが必要です。絶えず祈るとは、心の石をとることも含まれます。そうやって、いつも喜ぶのです。それこそが「神を恐れる」ことだと思います。
ある外国の女性はその国の少数派の宗教の人です。その国では、その少数派の宗教の信徒虐殺事件が、過去に二度ほど起こっていました。そして最近も虐殺事件が起こりました。そして、今不穏な空気が流れているそうです。その女性にとって、虐殺は、現実的で、深刻な恐れです。彼女は、日々その恐れの中にいて、「毎朝目が覚めたら、イエス様に『私たちを守ってください。』と祈っています。」と言われました。それを聞いて、私は厳粛な思いになりました。そして、「その恐れも、イエス様に手放しませんか?」と勧めました。彼女は、「やってみます。」と答えました。彼女は、日本語が少しわかるし、友人の宣教師に通訳してもらいながら、導くと、彼女は、現実的で深刻な恐れをイエス様に手放すことができました。彼女はイエス様に手放した時、イエス様が彼女の頭を撫ぜてくださったと涙を流して答えました。それを見て私はこんなに感動したことはありません。現実で、深刻な恐れもイエス様に手放すことはできるのです。この解放の祈りは、ニューシティーに必要だと思いました。
とにかく、祈りの中で、私たちは現実を感謝を持って受け入れ、そして、神様の恵みとして、聖霊によって喜ぶのです。それが、私たちの現実に対する神様の対処法だと思います。
3・すべて神のみわざと悟る
:16私は一心に知恵を知り、昼も夜も眠らずに、地上で行われる人の仕事を見ようとしたとき、:17すべては神のみわざであることがわかった。人は日の下で行われるみわざを見きわめることはできない。人は労苦して捜し求めても、見いだすことはない。知恵ある者が知っていると思っても、見きわめることはできない。
虐殺が起こっている国に対して、聖書にはすごい祝福の預言があります。この国の牧師、宣教師は100%主に従い、命をかけ、困難を耐えておられます。今まで、6年に1人、12年で2人導かれている状況が、今、数ヶ月で100人以上がその国の地方を中心に導かれているそうです。
なんで虐殺があるの?そこには神のすごい業が起こるのでサタンが必死に攻撃する。私はそう解釈するしかできません。わかりません。でも、すべては神のみわざなのです。
私には唯一の「神のみわざ」と受け入れていないことがあります。息子の怪我です。イエス様が直接私に「息子のことは、わたしに任せてくれはしないか?」と尋ねられたことは全てですし、最近「全てのことについて感謝しなさい。」1テサロニケ5:18から、イエス様が「息子のことも感謝していいんだよ。」とおしゃっていることも全てですが、
:17すべては神のみわざであることがわかった。
今朝、「すべて」に息子のことが含まれていることを受け入れました。そこに、神様のどんなご計画があるか?私にどんなちえがあたえられても見極めることはできません。