倉持隆夫が額を割られ実況が止まった。1980年5月2日、後楽園ホールで放送されなかった一戦
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倉持隆夫が額を割られ実況が止まった。1980年5月2日、後楽園ホールで放送されなかった一戦
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1980年5月2日、東京の後楽園ホール。メインイベントのアブドーラ・ザ・ブッチャー対ザ・シークは場外から客席へなだれ込み、放送席にいた日本テレビのアナウンサー、倉持隆夫が額を割りました。そしてこの試合は、テレビで放送されませんでした。
※本動画の試合映像はイメージです。当時の記録映像ではなく、AIで生成した再現映像を使用しています。
写真の一部は著作権法第32条にもとづく引用です(画面内に引用枠と出典を表示しています)。日付・数字・出来事は資料に基づく事実です。
全日本プロレスのシリーズ最終戦、会場は後楽園ホール、カードはメインイベント。それなのに、なぜこの1試合だけがテレビに残らなかったのか。
1979年4月7日、『全日本プロレス中継』は土曜の夕方の枠に移り、レギュラーの中継は原則録画中継になりました。試合が終わってから放送までのあいだに、局の側がどこを出すかを決められるようになったのです。1980年4月18日の大阪府立体育館、テリー・ファンク対ブッチャーは、途中から静止画に切り替えて放送されています。
5月2日、倉持は額を割った状態で救急車で病院へ運ばれ、実況はリングサイドにいた松永二三男が引き継ぎました。出来事はその夜の『NNNきょうの出来事』で報じられる寸前まで行き、翌日には馬場が日本テレビを訪れて謝罪しています。そして局の自主判断で、この試合は未放送となりました。後年、松永は「そのまま放送していたら全日本プロレス中継の番組存続の危機だった」と語っています。
収録された映像は局に残り、後年、懐古番組で放送されました。1980年5月2日にこの試合を見たのは、後楽園ホールに来ていた人だけです。
日付・数字・証言、すべて裏付けあり。録画という仕組みが生んだ「流さない」という決定、最後までご覧ください。
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【主な参照資料】
・Wikipedia「全日本プロレス中継」「倉持隆夫」「松永二三男」「ザ・シーク」「アブドーラ・ザ・ブッチャー」「チャンピオン・カーニバル (プロレス)」
・『日本プロレス事件史』Vol.2 P62-P65(ベースボール・マガジン社、2014年)
・伊賀プロレス通信24時「チャンピオンカーニバル番外編で起きた凶行事件!」(2023年5月2日)
https://igapro24.com/2023/05/02/histo...
【写真クレジット】
下記は Wikimedia Commons の画像です(同サイトのファイルページで原本とライセンス全文をご確認いただけます)。
・後楽園ホールの写真 1点 … 撮影 shibainu / Wikimedia Commons / CC BY 2.0
・テッド・デビアスの写真 1点 … 撮影 John McKeon / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0
・そのほかの写真は Wikimedia Commons のパブリックドメイン画像、および著作権法第32条にもとづく引用です。
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