「クビにするぞ」と常務に言われても折れなかった男が作ったスズキRG250Γ 倒産寸前の危機から放った起死回生マシンの衝撃度
CARS & BIKES
0:00 / 0:00
「クビにするぞ」と常務に言われても折れなかった男が作ったスズキRG250Γ 倒産寸前の危機から放った起死回生マシンの衝撃度
26 980 просмотров · 7 месяцев назад
CARS & BIKES
27,5 тыс. подписчиков
26 980 просмотров · 7 месяцев назад
「クビにするぞ」と常務に言われても折れなかった男が作ったスズキRG250Γ 倒産寸前の危機から放った起死回生マシンの衝撃度
1. バイク史に残るメガトン級の衝撃度
1983年
一台のバイクが日本のライダーたちを震撼させました
スズキRG250Γ、通称ガンマです
それまでのバイクとはまるで違う何かが
シルエットから滲み出ていました
レーシングマシンのカウル
アルミ製のフレーム
そして3,000rpmから始まるタコメーター
このバイクは
その後10年にわたるレーサーレプリカブームの火付け役となり
日本のバイク史の流れを決定的に変えました
なぜスズキはこんなものを作れたのか
なぜこんなものを作らなければならなかったのか
この動画ではその答えを追います
2. 倒産寸前のスズキが抱えていた危機
時計の針を少し戻します
80年代初頭
スズキの二輪部門は瀬戸際に立たされていました
原因はホンダとヤマハによる激しい販売競争
いわゆるHY戦争です
当事者でなかったスズキも、その余波をまともに受け
二輪部門は100億円近い赤字を計上しました
世界グランプリからの撤退を余儀なくされただけでなく
二輪事業そのものの撤退まで検討されるほどの
深刻な状況でした
ホンダやヤマハと数の論理で戦っても勝てない
そう悟ったスズキが打ち出したのが
少数精鋭の「一発必中」路線でした
83年のRG250Γ
84年のGSX-R400
85年のGSX-R750
この3年計画の第一弾こそが
ガンマでした
3. 「ガンマ」という名前が設計を決めた日
企画会議のある日
一人の若手社員がこう言いました
「ガンマという名前にしよう」
この一言が、すべてを方向づけました
Γ(ガンマ)とは
スズキのWGPチャンピオンマシン「RG-Γ」を指す名前です
76年から7年連続で世界GP500クラスのメーカータイトルを獲得した
まさに栄光の名前でした
その名を市販車に冠するということは
公道を走れるGPレーサーを造るということを意味します
反対する者は一人もいなかったといいます
それどころかレースグループからも
「Γの名を使うなら、半端なものでは困る」
という檄が飛んだといいます
名前が製品の水準を決めた
珍しい開発ストーリーです
4. 常務に「クビにするぞ」と言われた男の執念
しかし開発の道は平坦ではありませんでした
最大の難関は「アルミフレーム」の採用です
当時、フレームといえば鉄が当たり前でした
アルミフレームはワンオフのレーサーにしか使われておらず
コストは鉄の実に10倍
量産バイクでは未経験の素材でした
開発を主導した横内悦夫(よこうちえつお)さんが
アルミフレーム採用を提案すると
常務から
「絶対にダメだ、クビにするぞ」
と釘を差されました
しかし横内さんは引きませんでした
このままでは二輪事業が撤退になる
まだ誰も挑戦していないアルミフレームで勝負すれば
成功するだけでなく
スズキのブランドと技術力のアピールになる
そのように何度も何度も説得を繰り返し
ついに了承をえることに成功します
当時はアルミ溶接機械すら存在しなかった時代です
溶接技師をゼロから集めて教育するところからのスタートでした
5. 「世界初」「市販車初」
こうして完成したRG250Γには
「世界初」「市販車初」という言葉が並びました
量産市販車として世界で初めて
アルミ製ダブルクレードルフレームを採用
市販車として初めて
サーキット水準のフルカウルを装着
市販車として初めて
ミシュランタイヤを純正指定
サイズはフロント16、リア18
レーサー同様のカセット一体型ミッション
フルフローターサスペンション
フロントにアンチノーズダイブ機構
そして
計器類中央に配置されたタコメーターには
3,000rpm以下の目盛りが存在しません
まるでバイクがライダーに向かって
「低回転でのんびり走るな」
と語りかけているかのような演出でした
エンジンは水冷2ストローク
ピストンリードバルブ並列2気筒、247cc
最高出力は当時の自主規制上限いっぱいの45馬力
最大トルク3.8kgm
乾燥重量は131kg※128kgの記載も
125cc並みの軽さを実現していました
6. 「これだけの性能なんだからみんな分かってくれる」
完成したRG250Γには
大きな問題が一つありました
価格です
ヤマハRZ250が35万4,000円
ホンダVT250Fが39万9,000円
それに対してガンマは46万円
250ccクラスの価格帯を一気に引き上げてしまう数字でした
横内さんは迷ったといいます
しかし最終的にこう決断しました
「これだけの性能なんだからみんな分かってくれる」
コストカットは一切しない
ユーザーを信じて発売する
その賭けは見事に当たりました
初年度だけで約30,000台を販売
メーカーの想定を大きく上回る大ヒットとなったのです
7. 世界チャンピオンが広告に登場した理由
発売にあたってスズキが起用したのは
82年WGP500ccチャンピオンの
フランコ・ウンチーニ選手でした
カタログや雑誌広告に登場したウンチーニ選手は
こんな趣旨のコメントを残しています
テストコースで初めて見たとき
スズキは世界GP250ccクラスに挑戦するのかと思った
速度計がついていることで市販車とわかったが
走り終わってもまだその印象は消えなかった
世界最高峰のGPライダーでさえ
市販車だと信じられなかった
それがRG250Γという存在でした
8. 富士スピードウェイでの実測対決
発売直後の83年5月
月刊オートバイ誌は
RG250Γを富士スピードウェイに持ち込みました
ヤマハRZ250RとホンダMVX250Fを相手に
最高速とゼロヨン加速を測定する実測対決です
最高速の結果はこうでした
RG250Γ:176.47km/h
RZ250R:174.76km/h
MVX250F:173.08km/h
ガンマが首位に立ちました
ゼロヨンでは僅差でRZ250Rが13秒99で勝利
ガンマは14秒05の2位でしたが
その差はわずか0.06秒です
さらにこの企画にはポート研磨などの改造を施した
「ガンマ改」も参加し
最高速193.55km/h
ゼロヨン12秒82という圧倒的な数字を叩き出し
高い潜在性能を証明しました
9. 「ガンマ乗り」という文化が生まれた
RG250Γは乗り手を選ぶバイクでした
6,500rpmを境にエンジン特性が豹変する鋭い特性
フロント16インチが生み出すクイックな挙動
7,000rpm以上をキープし続けなければならない過激さ
バイクに合わせて自分を変えなければならない
そんな要求がライダーたちを鍛えました
峠では「ガンマ乗り」と呼ばれる独特の走法が生まれます
積極的にリヤに荷重し
素早く向きを変えて加速する
現代のフロント荷重バイクとはまるで逆の乗り方です
テールカウルのウィンカー形状は
「やっこだこテール」と呼ばれ
バイクそのものが一つの文化を生み出しました
10. ガンマが生んだ「劇薬」の10年間とその終焉
RG250Γの登場はライバルメーカーを激しく刺激しました
ヤマハTZR250、ホンダNSR250Rが次々と登場し
「市販レーサーと同時開発」
を売り文句にする競争が激化します
これが約10年に及ぶレーサーレプリカブームです
しかしこのブームは
ユーザーにとっても「劇薬」でした
凡庸なバイクでは刺激を得られなくなり
より過激なモデルだけが市場で生き残る
そんな状況が続いた結果
もちろんその他の事情もあるにせよ
バイク全体の市場が縮小していきました
89年
カワサキがゼファー(400cc)を投入し
これはあえて空冷2バルブ4気筒・鉄パイプフレームでしたが
ここでレプリカブームは「終わりの始まり」を迎えたのかもしれません
RG250Γからゼファーまでのわずか6年
日本バイク史の中で最も熱狂的な時期といってもよかったと思います
11. 83年が生んだ一つの<革命>
もしガンマが生まれなかったら
日本のバイク史はきっと違うものになっていたと思います
倒産の危機に追い込まれた企業が
常務から「クビにするぞ」と言われた男が
ユーザーを信じてコストカットを拒んだ横内さんが
たった一台のバイクに全力を注いだ結果
日本のバイク史は大きく動いたのだと思います
スズキRG250Γ
このマシンを最高の賛辞とともに語り継ぐ人たちは
今でも世界中に存在します
スズキ RG250Γ
グーバイク:10台
69万~110万
#スズキ #RG250Γ #ガンマ #レーサーレプリカ
スズキ,RG250Γ,ガンマ,レーサーレプリカ,2ストローク,旧車