鮎川義介|日産創業者の光と影――一職工から財閥総帥、そして戦犯容疑へ
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鮎川義介は、なぜ一職工から日産コンツェルンの総帥となり、戦後は戦犯容疑で巣鴨に拘禁されたのでしょうか。日産自動車の創業者が歩んだ、挑戦と挫折の86年をたどります。
東京帝国大学を卒業しながら、学歴を隠して芝浦製作所の職工となった鮎川義介。アメリカの工場で鋳造技術を学び、福岡県遠賀郡戸畑町、現在の北九州市戸畑区に戸畑鋳物を設立しました。
創業後の資金難、恩人・久原房之助が率いた久原鉱業の再建、そして日本産業――「日産」の誕生。社会から資金を集め、企業を育てる仕組みは、日立製作所や日産自動車などを擁する巨大な企業集団へと発展します。
やがて義介は、満州重工業開発の総裁に就任。米国資本の導入によって日米の衝突を避けようとしますが、その構想は実現しませんでした。
敗戦後はA級戦犯容疑で約20か月拘禁され、起訴されないまま釈放。その後は、中小企業の育成と政治活動に力を注いでいきます。
「金持ちにはならぬ」と考えた男は、何を築き、何を実現できなかったのか。
産業発展の光と、戦争や政治に翻弄された影。その両面から、鮎川義介の生涯を見つめます。
『動画の目次』
00:00 あらすじ(イントロ)
01:10 出生~職工から始まった人生
09:46 金策の苦闘と日産の誕生
22:05 満州重工業開発の総裁へ――米国資本で戦争を防げるか
27:46 戦犯容疑で巣鴨へ
31:23 大企業の総帥から、中小企業の支援者へ
35:17 鮎川義介が残したもの
36:48 おわり
【この動画で取り上げる内容】
・芝浦製作所とアメリカでの職工生活
・戸畑鋳物の設立と資金繰りの苦闘
・久原鉱業の再建と日産コンツェルンの形成
・国産量産自動車第一号として知られるダットサン14型
・満州重工業開発と米国資本導入の構想
・戦犯容疑による巣鴨拘禁と釈放
・中小企業支援と参議院議員としての活動
※戦犯容疑による拘禁と、有罪判決は異なります。鮎川義介は東京裁判の被告として起訴されていません。
人物と企業の歴史を、その時代背景とともにお届けする「偉人エピソードX」。ぜひチャンネル登録して、次の物語もお楽しみください。
#鮎川義介 #日産創業者 #日産自動車