Перейти к содержимому

SMクラブ下克上殺人事件動画/「文句があるなら辞めろ」と言われた従業員が、店ごと奪おうと

深層事件簿

0:00 / 0:00

SMクラブ下克上殺人事件動画/「文句があるなら辞めろ」と言われた従業員が、店ごと奪おうと

993 просмотра · 12 дней назад
深層事件簿
965 подписчиков
993 просмотра · 12 дней назад
1996年9月6日、茨城県の鹿島港にクレーンが入りました。引き上げられたのは木箱です。中はコンクリートで固められていて、その中から遺体が見つかりました。東京都品川区でSMクラブを経営していた男性、橋口聖司さん。当時32歳。慶應義塾大学を出て、自分で店を作った人です。 消えたのは8か月以上前でした。しかしその間、店はふつうに営業を続けていました。客が来て、従業員が働き、売り上げが上がっていました。経営者の席に座っていたのは、月給80万円で雇われていた従業員です。 店は、東京都品川区東五反田のマンションの一室にありました。SMクラブ「パラダイス」。看板を出さず、部屋を借りて営業する形で、同じやり方で品川区と港区にあわせて6店舗を持っていました。売り上げは事件の前の月で600万円から800万円、12月には1000万円を超えています。店長は平賀聖浩さん、当時33歳。甲南大学を出て大手の広告代理店に入った人で、月給はおよそ300万円でした。 一方、従業員だった陸田真志の月給は、歩合を入れて80万円ほどでした。1970年、山口県下松市の生まれ。双子の弟で、兄の陸田賢志もこの事件の共犯になります。専修大学を中退してデザインの専門学校を出たあとアメリカへ渡りましたが、現地で暴力事件を繰り返し、逮捕されて帰国。1994年10月にパラダイスの従業員になりました。1995年7月ごろには別の従業員と組んで狂言の強盗を仕組み、売り上げの一部を自分のものにしています。店を裏切ることは、事件の5か月前にもう始まっていました。 この店の月の売り上げを1000万円以上にまで伸ばしたのは真志だったとされ、経営者の橋口さんは売り上げの5パーセントを報奨として出すと約束していました。しかしその約束は守られず、真志が抗議すると「文句があるなら辞めろ」と返されたと伝えられています。そこへ新しい店長として入ってきたのが平賀さんで、店の方針をめぐって真志と対立。やがて橋口さんと平賀さんの2人は、陸田兄弟を店から追い出そうとし始めます。ただし真志が考えたのは、現金を奪うことではありません。経営者と店長を消して、店をそのまま引き継ぐことでした。恨みを晴らすのでも、金を盗むのでもない。席を空けて、そこに自分が座る。だからこの事件は「下克上」と呼ばれました。 1995年12月20日、真志は刃物と斧、そして遺体を処理するための道具をそろえます。翌21日、907号室で勤務明けに眠っていた店長の平賀さんを、陸田兄弟が襲いました。次に呼び出す相手は経営者の橋口さんでしたが、その日は呼び出されていません。兄の賢志が体調を崩したためです。人を1人殺したあとの1日を、兄弟はこの部屋で過ごしました。遺体は907号室にあったままです。翌12月22日、同じ907号室に橋口さんが「従業員の面接」という名目で呼び出され、そこで殺害されます。呼び出したのは、自分の店の従業員でした。24日の深夜には、真志は渋谷区広尾にある橋口さんの自宅にも入っています。目的は現金ではなく、印鑑と通帳と、名義に関わる書類でした。 年が明けて1996年1月5日から9日にかけて、真志は偽造した委任状を使って銀行を回ります。橋口さんの定期預金から2502万7548円、さらに500万円の小切手を3通。あわせておよそ4000万円。名義人はもう生きておらず、委任状も偽物です。それでも窓口の手続きは通りました。1月21日には遺体をコンクリート詰めにして鹿島港に沈めています。この事件で真志が得たとされる利益は、1億3000万円を超えました。 そして店は、何ごともなかったように営業を続けます。ここがこの事件でいちばん奇妙なところです。看板のない、マンションの一室の店でした。経営者が顔を出さなくても客には分かりません。従業員にとっては、給料が出ていれば日々は回ります。出社の記録も打刻もありません。会社なら数日で分かることが、この店では分かりませんでした。最初におかしいと気づいたのは、店の外にいた家族です。1996年2月、橋口さんの両親が捜索願を出しました。 警察が預金の動きを調べると、本人が消えたあとに大金が引き出されていました。8月30日に引き出しに関わった男が詐欺の疑いで逮捕され、9月6日、鹿島港から木箱が引き上げられます。9月25日、陸田真志、兄の賢志、そして従業員が強盗殺人の疑いで逮捕されました。真志は自分から出頭しています。 初公判は1997年3月3日。1998年3月16日に死刑を求刑され、同年6月5日、東京地裁は求刑どおり死刑を言い渡しました。犯行に加わった従業員は懲役15年、兄の賢志は無期懲役。2005年10月17日、最高裁が上告を棄却して死刑が確定します。 この事件には、もう1つ記録が残っています。死刑が確定したあと、東京拘置所で真志は池田晶子という哲学者の「さよならソクラテス」を読み、著者に手紙を出しました。池田晶子は返事を書き、往復書簡が始まります。やり取りは「死と生きる 獄中哲学対話」(新潮社)として本になりました。中身は贖罪の告白ではなく、死とは何か、自分とは何かを詰めていく対話です。ただし、真志が獄中で何を考えたとしても、殺された2人は帰ってきません。 2007年2月23日、池田晶子が46歳で亡くなります。その1年4か月後の2008年6月17日、東京拘置所で陸田真志の死刑が執行されました。37歳。事件から12年半が過ぎていました。 ▼チャプター 00:03 プロローグ 01:07 第一章 部屋を借りただけの店 02:46 第二章 「文句があるなら辞めろ」 04:10 第三章 席をふさいでいた2人 05:25 第四章 同じ部屋で、二度 07:10 第五章 死んだ人間の口座 08:30 第六章 8か月、誰も届けなかった 09:47 第七章 死刑 11:17 第八章 拘置所から出た手紙 12:45 第九章 執行 13:32 時系列の整理 14:11 残された問い 14:55 エピローグ ▼ご視聴にあたって ・2005年10月に死刑が確定し、2008年6月に執行された事件です。 ・被害者2人の氏名は、当時の報道で公表されています。 ・店の規模・売り上げ・給与、および動機の経緯は、当時の報道と公判で語られた内容によります。 ・店長と経営者が殺害されたのは12月21日と22日で、同じ日ではありません。兄が体調を崩したため1日空いたと記録されています。 ・獄中でのやり取りは、書籍「死と生きる 獄中哲学対話」(新潮社)によります。 ・獄中で何を考えたかは、量刑の評価とは別の話として扱っています。 ・店の業態にかかわる性的な描写はしていません。当時の広告なども使用していません。 ▼画像クレジット ・店の形と金の流れ/12月21日と22日の907号室/手に入れたもの/8か月の空白/3人の刑/時系列:本チャンネル作図 ・人影:本チャンネル作成 ▼主な参考 ・当時の各社報道 ・池田晶子・陸田真志「死と生きる 獄中哲学対話」新潮社 #SMクラブ下克上殺人事件 #下克上殺人 #陸田真志 #五反田 #品川区 #死刑 #獄中哲学対話 #池田晶子 #未解決ではない事件 #事件解説 #深層事件簿