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【最悪の山岳遭難】吹雪に消えた199人…『八甲田山雪中行軍』の真相

日本事故解体センター

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【最悪の山岳遭難】吹雪に消えた199人…『八甲田山雪中行軍』の真相

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八甲田山雪中行軍遭難事件は、1902年(明治35年)1月、青森の歩兵第5連隊が真冬の八甲田山で遭難し、行軍に加わった210人のうち199人が亡くなった、日本最悪の山岳遭難です。同じ冬、同じ八甲田を越えた弘前の歩兵第31連隊の37人は、ひとりも欠けずに帰ってきました。 青森の隊が目指したのは、片道およそ20キロ先の田代新湯。1泊2日の計画でした。出発の朝、田茂木野の村人は行軍をやめるよう勧め、道案内まで申し出ましたが、隊はそれを断ります。小峠で空が急変しても隊は進み続け、雪の穴で夜を明かしたあと、午前2時半に真っ暗な吹雪の中へ歩き出しました。 同じ寒波、同じ山で、なぜ結果はまったく逆になったのか。陸軍の記録と気象の分析から、山に入る前に開いていた3つの穴をたどります。山を知る人の声、引き返すための線、そして誰が決めるのか。地図と時刻で、あの4日間の行軍を追いかけます。 後藤伍長の銅像、幸畑の陸軍墓地、いまも続く雪中の訓練、そして小説や映画と記録との違いまでを扱います。120年以上前の雪山の教訓は、いまの山にもそのまま当てはまります。 ─────────────── 目次 0:00 この事故で何が起きたか 1:15 2つの隊の備え 4:50 吹雪の中の10日間 11:32 山に入る前の3つの穴 14:33 記録と銅像と教訓 16:17 引き返す地点 ─────────────── 主な参考資料 ・歩兵第五聯隊「遭難始末」(1902年7月) ・青森県立図書館デジタルアーカイブ「八甲田山雪中行軍遭難事件」年表 ・大矢康裕(気象予報士)「1902年1月の八甲田山雪中行軍遭難事故の真実/鮮やかに蘇った120年前の天気図と気象状況」山と溪谷オンライン ・気象庁 観測史上1位の値(旭川 1902年1月25日 −41.0℃、酸ヶ湯 2013年2月26日 積雪566cm) ・地図: Natural Earth(陸地)/ 国土地理院 地名検索(行軍路の地名の位置) ─────────────── このチャンネルでは、日本で起きた事故と災害を、事故調査の記録と裁判の判決から1本ずつ解体していきます。 事故は、起きた瞬間ではなく、その前に決まっている。 次の記録も届くように、チャンネル登録をお願いします。 ─────────────── 制作 ・VOICEVOX:青山龍星 ・BGM: Flutter / かずち(DOVA-SYNDROME) ※本動画は事故調査報告書・公的資料・報道など公開情報に基づいて制作しています。特定の個人・団体・ご遺族を非難する意図はありません。犠牲者の方々に哀悼の意を表します。 #八甲田山雪中行軍 #山岳遭難 #日本事故解体センター