蝦夷が生まれた歴史 単なる区分けから律令制による差別、そして戦争へ
日本及び東アジアの古代史を科学する
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本ドキュメントは、6世紀から8世紀前半を中心とした古代日本における「蝦夷(えみし)」をめぐる支配制度と実態、およびその集団認識の成立過程を総合的に整理・分析したブリーフィング・ドキュメントである。
古代国家形成期における蝦夷支配は、単一の静的な制度ではなく、ヤマト王権段階から律令国家段階へと至る政治体制の変容や、国家側の支配思想の転換に伴い動的に変化した。主たる焦点をまとめると以下の通りである。
集団認識の成立と変遷:5世紀の『宋書』倭国伝(倭王武上表文)に見られる「毛人」などの曖昧な夷狄理念から、中国史料における「蝦夷国」の認識を経て、8世紀の律令法における「化外の民(夷狄)」としての明確な身分定義へと段階的に再編された。
ヤマト王権の支配制度との関係:国造制の領域的限界(国造による田地支配が及ばない地域としての「蝦夷国」の観念)、ミヤケ(屯倉・官家)を拠点とした水上交通支配、異民族型部民(佐伯部・吉弥侯部等)の編成、および城柵と移民(柵戸)政策が密接に絡み合いながら蝦夷支配が推進された。
律令制下における政策転換(「撫慰」から「饗給」へ):職員令・考課令等の分析により、大宝令段階の「撫慰(招慰・戸貫=公民化への編入)」を推進する強硬的な支配理念から、養老令段階の「饗給(朝貢・交易体制の維持)」を中心とする現実的な関係維持政策への質的転換が、710〜720年代の蝦夷の反乱を経て生じたことが明確となる。
接触形態(海路と陸路)と身分意識の固定化:海路による水上交通拠点(「水門」や「政所」)を介した点的な交易・交渉と、陸路による東国移民を伴う面的な支配拡大(版図拡大)という2つのアプローチが存在した。8世紀後半には、東国移民系住民の「王民」意識の顕在化(改姓申請や俘囚解放要求)と蝦夷への差別意識の顕在化が生じ、これに対する蝦夷側の反動(宇漢迷公宇屈波宇の逃還等)が、いわゆる「三十八年戦争」の契機となった。