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豊臣秀吉の妹・朝日姫のその後。44歳で家康に嫁ぎ、3年8か月で迎えた最期と『2つの墓』【豊臣兄弟!】

その後の日本史

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豊臣秀吉の妹・朝日姫のその後。44歳で家康に嫁ぎ、3年8か月で迎えた最期と『2つの墓』【豊臣兄弟!】

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関白・豊臣秀吉の妹あさひ(朝日姫)は、44歳で徳川家康の正室になり、1590年の正月、京の聚楽第で亡くなったとされます。あさひを語る話の多くは、この日で終わります。 けれど記録をたどると、続きがありました。 嫁いでから3年8か月で、記録からたどると8回変わったとみられる住まい。2つの寺に分かれた墓。2年半後、同じ聚楽第で迎えた母なかの死。そして、本によって名前もその後も変わる前の夫。 今回は、あさひの3年8か月とその先を、家臣の日記や幕府の記録をもとに、年の順に追っていきます。 📌 この動画でわかること ・尾張の娘から、関白の妹へ ・数正の出奔、大地震、そして44歳で浜松の城へ ・人質の母と、母に会いに来た娘。同じ岡崎の城で ・家臣の日記に残った「ご苦労であった」と、夜通しの旅 ・小田原攻めの支度の中の死と、同じころ京にいた数え12歳の長丸(のちの秀忠) ・2つの寺に分かれた墓と、2年半後の母の死 ・名前もその後も、本によって変わる前の夫 あさひの住まいを決めたのは、だれだったのか。3つの謎とあわせて、最後に答え合わせをします。 高評価・チャンネル登録で応援していただけるとうれしいです。 あなたが知っていた朝日姫は、どんな人でしたか? コメントで教えてください。 ⏱ 目次 0:00 オープニング:嫁いでから3年8か月、そして2つの墓 1:40 第1章 あさひ|尾張の娘と、関白になった兄 3:50 第2章 あさひと家康|数正の出奔、大地震、浜松へ嫁ぐ 7:43 第3章 あさひと母なか|浜松の妻と、岡崎に置かれた母 11:15 第4章 駿河御前|母の病で京へ、そして自分の病 14:51 第5章 あさひ|小田原の支度の中の死 18:28 第6章 家康と母なか|2つの墓と母の死 21:42 第7章 例外・前の夫|あさひの夫として書かれた人 23:29 まとめ|住まいの年表と答え合わせ #日本史 #歴史解説 #朝日姫 #豊臣秀吉 #徳川家康 #その後の日本史