豊臣秀吉の妹・朝日姫のその後。44歳で家康に嫁ぎ、3年8か月で迎えた最期と『2つの墓』【豊臣兄弟!】
その後の日本史
0:00 / 0:00
豊臣秀吉の妹・朝日姫のその後。44歳で家康に嫁ぎ、3年8か月で迎えた最期と『2つの墓』【豊臣兄弟!】
81 162 просмотра · 1 дн. назад
その後の日本史
999 подписчиков
81 162 просмотра · 1 дн. назад
関白・豊臣秀吉の妹あさひ(朝日姫)は、44歳で徳川家康の正室になり、1590年の正月、京の聚楽第で亡くなったとされます。あさひを語る話の多くは、この日で終わります。
けれど記録をたどると、続きがありました。
嫁いでから3年8か月で、記録からたどると8回変わったとみられる住まい。2つの寺に分かれた墓。2年半後、同じ聚楽第で迎えた母なかの死。そして、本によって名前もその後も変わる前の夫。
今回は、あさひの3年8か月とその先を、家臣の日記や幕府の記録をもとに、年の順に追っていきます。
📌 この動画でわかること
・尾張の娘から、関白の妹へ
・数正の出奔、大地震、そして44歳で浜松の城へ
・人質の母と、母に会いに来た娘。同じ岡崎の城で
・家臣の日記に残った「ご苦労であった」と、夜通しの旅
・小田原攻めの支度の中の死と、同じころ京にいた数え12歳の長丸(のちの秀忠)
・2つの寺に分かれた墓と、2年半後の母の死
・名前もその後も、本によって変わる前の夫
あさひの住まいを決めたのは、だれだったのか。3つの謎とあわせて、最後に答え合わせをします。
高評価・チャンネル登録で応援していただけるとうれしいです。
あなたが知っていた朝日姫は、どんな人でしたか? コメントで教えてください。
⏱ 目次
0:00 オープニング:嫁いでから3年8か月、そして2つの墓
1:40 第1章 あさひ|尾張の娘と、関白になった兄
3:50 第2章 あさひと家康|数正の出奔、大地震、浜松へ嫁ぐ
7:43 第3章 あさひと母なか|浜松の妻と、岡崎に置かれた母
11:15 第4章 駿河御前|母の病で京へ、そして自分の病
14:51 第5章 あさひ|小田原の支度の中の死
18:28 第6章 家康と母なか|2つの墓と母の死
21:42 第7章 例外・前の夫|あさひの夫として書かれた人
23:29 まとめ|住まいの年表と答え合わせ
#日本史 #歴史解説 #朝日姫 #豊臣秀吉 #徳川家康 #その後の日本史