黒部ダムの実話|171人は映画になった、その前の300人は記録にしか残らなかった
再現ファイル
0:00 / 0:00
黒部ダムの実話|171人は映画になった、その前の300人は記録にしか残らなかった
988 просмотров · 19 ч назад
再現ファイル
3,13 тыс. подписчиков
988 просмотров · 19 ч назад
黒部ダム(くろよん)より20年前、同じ黒部川の上流で、もうひとつの発電所「黒部川第三発電所(黒三)」が造られました(1936〜40年)。トンネルの岩は最高165度。1938年12月27日の未明には、谷の宿舎が雪崩に襲われ、一晩で84人が亡くなりました。記録に残る数は300人余り。それでも工事は止まりませんでした。
富山県は工事の中止を命じました。では、なぜ続いたのか。元日本電力の技術者の記録(1991年)、工事をした会社の技術者の報告(1941年)、研究者の調べと当時の紙面から、止めた側と続けさせた側を順に追います。
2026年10月から、このトンネルを観光のトロッコが通っています。黒部宇奈月キャニオンルートです。
黒三を知らない方にも分かるように、最初に2分ほどで黒部ダムとの違いを説明しています。資料によって違う数字は、違うまま並べています。
▼ 目次
0:00 オープニング 1938年12月27日、未明
1:25 黒部ダムの前の話
1:54 「くろよん」と「黒三」
2:30 確かめたい3つのこと
3:04 第1部 1936年 ダムの先の道
4:29 崖の途中に刻んだ道
4:50 1941年、会社の技術者の報告
5:11 2本のトンネル
5:52 第2部 1937年 165度
7:17 火薬の法規は何度まで
8:01 熱から火薬を守る筒
9:00 第3部 1938年12月27日 志合谷
9:39 泡雪崩
11:11 小説と記録の違い
11:37 富山県の中止命令
11:58 第4部 1939年 誰が続けさせたか
12:24 電力は国の仕事
12:44 法律より工事が上に
13:41 御下賜金と中止命令の取り下げ
15:42 1940年1月9日、もう一度
16:13 1940年11月、完成
16:30 第5部 1963年 171と300
17:54 数字がそろわない理由
18:27 おさらい、そして今
19:44 今のトンネルは何度か
20:13 1941年の報告の最後の一行
▼ この動画で分かること
・黒部ダム(黒四、1956〜63年)と、その前の黒三(1936〜40年)の違い。映画『黒部の太陽』が描いたのは黒四
・欅平(けやきだいら)から仙人谷(せんにんだに)まで、ダムの先へ資材を運ぶ道がなぜ必要だったのか
・阿曽原(あぞはら)〜仙人谷の904メートル:入口から30メートルで65度、最高165度の岩をどう掘ったのか
・火薬の決まりは何度までだったのか。決まりの外で発破を続けた区間
・1938年12月27日、志合谷(しあいだに)の宿舎に何が起きたのか(泡雪崩、のちの研究の見積もりで風速は秒速145メートル)
・事故のあと富山県が出した中止命令と、工事が再開された3つの理由(電力は国の仕事・陸軍省の直轄に近い形・天皇からの金一封)
・黒部ダムの171人と、記録の300人余り。数え方によって数字が違うこと
・工事をした会社の技術者が1941年の報告の最後に書いた一行と、翌年までに国の会社へ移った発電所
・今の高熱のトンネル:約40度、観光の客車が通る
▼ 参考文献(著者「題」『書名・雑誌名』巻号、出版社・発行者、年)
・雨野義広・川村國夫「苛酷を極めた高熱隧道」『土と基礎』39巻3号、土質工学会、1991年(元日本電力社員の談話を資料で確かめた記録)
・松岡英長「日本電力株式會社黒部川第三發電所工事に就いて」『電氣學會雜誌』61巻635号 pp.275–284、電氣學會、1941年(J-STAGE で公開)
・清水弘「真説高熱隧道」『北海道地区自然災害科学資料センター報告』7号、1992年(泡雪崩の記録)
・堀江節子『黒部・底方の声』桂書房、1992年
・飛田雄一『むくげ通信』299号、むくげの会
・関西電力「電源開発のあゆみ」年表、黒部川電気記念館・黒部ダム公式サイト
・文化庁、国土交通省 黒部川、黒部・宇奈月温泉観光局
・黒部宇奈月キャニオンルート公式サイト「歴史」
・小説:吉村昭『高熱隧道』新潮社、1967年(小説の登場人物は架空です。小説の数字・セリフは使っていません)
・映画:『黒部の太陽』1968年(映画の映像・写真は使っていません)
※ 地名の読み:欅平(けやきだいら)、阿曽原(あぞはら)、仙人谷(せんにんだに)、志合谷(しあいだに)。「黒三(くろさん)」は黒部川第三発電所、「黒四(くろよん)」は黒部ダムと黒部川第四発電所のことです。
※ 地形の高さは実際のまま(1倍)。当時のトンネル・宿舎・施設の位置は、資料をもとにした目安(模式)です。
※ 3D地形は、国土地理院の標高タイル・シームレス空中写真・基盤地図情報(建物)をもとに自作しました。日本・富山県の地図は NASA Blue Marble(公有)と Sentinel-2 cloudless(EOX, CC BY 4.0)をもとに作図。
※ 当時の場面の絵・動画、湯気と雪崩の立体の場面は「再現イメージ」で、実際の場面の記録ではありません。
※ 写真:Yasu(CC BY-SA 3.0)、Bergmann(CC BY-SA 3.0)、Spinningcat(CC BY-SA 3.0)、PekePON(CC BY-SA 4.0)、Ka23 13(CC BY-SA 4.0)、河川一等兵(CC BY-SA 4.0/公有)、tsuda(CC BY-SA 2.0)、Hiroyuki Mori(CC BY-SA 2.0)、foooomio(CC BY 2.0)、lumoplank(CC0)、Abasaa・Yones(公有)、高岡新聞社『躍進富山県』1938年(公有)、Science History Institute(公有)。いずれも Wikimedia Commons。
※ 図・BGM・効果音はオリジナルです。
※ 特定の人や国、会社を責めたり、たたえたりするための動画ではありません。
▼ 硫黄島(栗林中将の地下要塞)の回はこちら
• 硫黄島からの手紙の実話|死者は日本が3倍なのに、なぜ米軍の死傷者が上回ったのか
#黒部ダム #高熱隧道 #黒部峡谷