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【漫画】八甲田山の生存者11人|自分の銅像の除幕式に出た伍長、最後の1人は68年後

まんが昭和人物伝

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【漫画】八甲田山の生存者11人|自分の銅像の除幕式に出た伍長、最後の1人は68年後

15 280 просмотров · 8 дн. назад
まんが昭和人物伝
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■ この動画で新しく分かること 入院中に亡くなったのは小原でなく高橋伍長だと、記録で正します 傷の重さで見舞金が分けられた一覧と、それを辞退した将校3人 昭和7年、出発から30年の夜にラジオで語った村松伍長の言葉 八甲田山の雪中行軍で生き残った11人は、そのあとどう生きたのか。歩兵第五聯隊の『遭難始末』に残る入院の記録と見舞金の一覧、陸軍の公報、日露戦争の戦史、昭和の本とラジオの記録、生存者の聞き取りで漫画にしました。 明治35年(1902年)1月、210人のうち生きて帰ったのは11人。手足の無事だった3人の将校は、3年後、日露戦争の黒溝台に立ち、一人は戦死しました。手足を失った8人は兵役を免除されて故郷へ帰り、自分の銅像の除幕式に出た伍長、30年目の夜にラジオで語った伍長、裏庭にお堂を建てた一等卒がいました。最後の一人が亡くなったのは、遭難から68年後でした。そして4人のその後は、記録から途絶えています。 ▼目次 0:00 十一人 0:53 病院の六人 1:59 入院治療表 3:13 見舞いと見舞金 4:51 生き残った人が語ったこと 6:54 銅像の伍長 8:52 黒溝台 11:36 毘沙門天堂 12:49 最後の一人 14:06 慰霊 14:49 記録に残らない人 16:19 記録が明かしたこと ▼関連する回 ・【漫画】八甲田山 雪中行軍の最期|210人中199人が死亡。目的地まで、あと2kmだった    • 【漫画】八甲田山の悲劇|210人中199人が死亡。目的地まであと2kmだった「雪中行軍」   ▼この動画について ・絵は資料をもとにした再構成です(AIで作成した漫画で、実際の人物・場所の写真ではありません)。声は本人のものではありません。 ・セリフには、公報・本・聞き取りに残る言葉を現代語にしたものと、資料をもとにした想像のセリフがあります。 ・生存者11人の氏名と手術・見舞金の記録は、歩兵第五聯隊『遭難始末』(明治35年)によります。入院後に亡くなった6人のうち最初の方は高橋房治伍長です(小原忠三郎伍長と取り違えて書かれることがあります)。 ・小原忠三郎伍長の聞き取りと没年(昭和45年)は、後の本や報道によるもので、当時の記事は確認できていません。 ・阿部寿松・後藤惣助・山本徳次郎・及川平助の4人のその後は、公開されている明治〜昭和の本を名前で探しても見つかりませんでした。 ・小説『八甲田山死の彷徨』・映画『八甲田山』の人物や場面は、史実と違うところがあります(本編では根拠にしていません)。 ▼主な出典 歩兵第五聯隊『遭難始末』(1902年、国立国会図書館デジタルコレクション)/『日露陸海軍公報集』/参謀本部『明治卅七八年日露戦史』(黒溝台会戦の死傷表)/『第八師団戦史』(1906年)/陸軍大臣官房『傷痍軍人成功美談集』(1934年)/『ラヂオ年鑑 昭和8年』/『日本紳士録』/帝国議会 貴族院 請願文書表(1916年)/『東津軽郡町村誌』(1943年)ほか。 #八甲田山 #雪中行軍 #明治 写真:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)。一覧は https://commons.wikimedia.org の各ファイルページ