【三重ノ海剛司・佐田の山晋松】「もうダメだと思ったら、オレが引導を渡す」― 5年後、止め鋏はその師匠の手にあった
相撲伝説と闇
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【三重ノ海剛司・佐田の山晋松】「もうダメだと思ったら、オレが引導を渡す」― 5年後、止め鋏はその師匠の手にあった
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「【たんこぶで新弟子検査を通った男】三重ノ海剛司 ep1 | 母の腰巻の紐をベルトにした極貧少年——大関陥落から"特例復帰"を果たすまでの不屈の前半生」
新弟子検査の朝、彼の頭にはたんこぶがあった。 身長が、規定に9cmも足りない—— だから前夜、兄弟子に頼んで頭を叩いてもらい、 枕を腰の下に敷いて、少しでも背筋が伸びるように眠った。 それでも実測は171cm。 不合格のはずだった少年を救ったのは、検査官を務めていた一人の親方の**"目溢し"**—— その親方こそ、元横綱・千代の山だった。
9cm足りなかった少年は、後に第57代横綱となる。 三重ノ海剛司—— 大関から陥落しながら横綱まで昇り詰めるという、 大相撲史に残る不屈の物語の主人公である。 そして引退後は武蔵丸ら1横綱3大関を育て上げ、 角界最大の危機に日本相撲協会理事長として立ち向かうことになる男—— その原点は、三重・松阪の、あまりにも貧しい家にあった。
1948年(昭和23年)2月4日、三重県松阪市—— **石山五郎(いしやま ごろう)**は、極貧の家庭に生まれ育った。 その貧しさは、想像を絶する。 ズボンのベルトを買う金すらなく、 母の腰巻の紐を、ベルト代わりに結んで学校へ通った。 小学4年から新聞配達。 小学6年では、中学生以上しかできない牛乳配達を、年齢を偽って引き受けた。 中学では松阪駅近くの精肉店で配達のアルバイト—— 仕事終わりの銭湯と外食だけが、少年のささやかな楽しみだった。
運命は、銭湯から始まった。 中学1年のとき、10歳以上年の離れた兄が、 出羽海部屋をひいきにする魚屋の大将に冗談半分で持ちかけた。 「うちの弟、そこそこ体が大きいんだが、相撲取りにどうかな」 興味を持った大将の一言——「それなら、ちょっと見せてみろ」。 五郎少年は、銭湯で裸の体を"品定め"されたのである。
だが、話はすぐにはまとまらない。 中学を出た五郎は、集団就職で上京し、工場勤務の日々を送る。 ある日、上野公園で見かけた力士に声をかけられ、相撲部屋に誘われたことも—— それでも決心はつかず、故郷へ帰り、 今で言うニートのような無為の日々を過ごした。 ただ、体重だけは、増え続けていった。
「このままでは、終わる」—— 意を決した五郎は、あの魚屋の大将に電話をかける。 返ってきた答えは、たった一言——「すぐに東京へ帰ってこい」。 一か八か。覚悟を決めた五郎は、出羽海部屋の門を叩き、 冒頭の"たんこぶ検査"を経て、1963年(昭和38年)7月場所、初土俵を踏んだ。
L出世は、決して早くなかった。 だが、愚直な稽古が、少しずつ実を結んでいく。 1969年、新入幕。 1970年、新小結——その場所で、あの大横綱・大鵬を撃破する大金星。 「安藝ノ海二世」の愛称と共に、左四つ・寄り・上手出し投げの技巧派として、 三重ノ海の名は番付上位に定着していった。 途中、肝炎に苦しみながらも克服し、 幕内初優勝を手土産に——27歳11ヶ月で、ついに大関昇進を果たす。
だが、ここからが地獄だった。 晴れの新大関の場所——三重ノ海は怪我に襲われ、途中休場。 続く場所も、足首の故障で再び途中休場。 2場所連続の休場により——大関の地位から、陥落した。 昇進の美酒から一転、奈落への転落。 世間は囁いた。「三重ノ海は、終わった」と。
だが、この男は、終わらなかった。 陥落直後の場所、関脇の地位で10勝を挙げ、 「10勝以上で大関特例復帰」の規定を適用—— 大関への返り咲きを果たしたのである。 この苦境の時期、彼を支えたのは、師匠・出羽海—— あの元横綱・佐田の山の言葉だった。 「お前の相撲は、オレが一番よく知っている。 もうダメだと思ったら、オレが引導を渡す。今はまだ大丈夫だ。頑張れ」—— 電信柱を叩いて横綱に昇った"猛稽古の鬼"が、 母の腰巻の紐を締めて育った苦労人に、再起の火を灯した。
陥落を経験した大関が、この先どこまで行けるのか—— 誰もが半信半疑だった。 だが三重ノ海は、北の湖が君臨する土俵で、静かに牙を研いでいく。 31歳での横綱昇進という前人未到の遅咲き、 わずか8場所の短くも美しい綱の日々、 武蔵丸・武双山・出島・雅山を生む**「武蔵川王国」**の建設、 そして朝青龍騒動・野球賭博事件——角界最大の危機に理事長として立った晩年は、次回。
このエピソードでは、三重ノ海剛司の「原点」——松阪の極貧少年時代、銭湯の品定め、たんこぶの新弟子検査、大鵬撃破、肝炎克服、そして大関陥落からの特例復帰までを、資料と証言をもとに紐解いていきます。
▼このエピソードで語られる内容 ・1948年、松阪の極貧家庭に誕生 ・母の腰巻の紐をベルト代わりにした少年時代 ・小4の新聞配達、年齢を偽った牛乳配達 ・精肉店アルバイトと銭湯・外食のささやかな楽しみ ・兄と魚屋の大将——銭湯での"品定め" ・集団就職、工場勤務、上野公園での力士との遭遇 ・帰郷とニート同然の日々、増え続けた体重 ・「すぐ東京へ帰ってこい」——魚屋の大将の一言 ・9cm足りない身長と、たんこぶの新弟子検査 ・検査官・千代の山の"目溢し"で合格した奇跡 ・1963年7月、初土俵 ・1969年新入幕、1970年新小結で大鵬撃破 ・「安藝ノ海二世」——左四つの技巧派 ・肝炎克服と27歳11ヶ月の大関昇進 ・新大関での連続途中休場と大関陥落 ・「終わった」と囁かれた男の反撃 ・10勝での大関特例復帰 ・師匠・佐田の山(出羽海)の励ましの言葉 ・そして31歳の横綱昇進へ——次回予告
この動画は、栄光の裏に隠された「相撲伝説と闇」を、敬意を持って掘り下げるシリーズの第1回です。
▼次回予告:ep2「31歳・最晩成の横綱と武蔵川王国——武蔵丸を育てた名伯楽が、朝青龍騒動と野球賭博事件の嵐の中で理事長として背負ったもの」
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📚 参考文献・出典(信頼できる公式ソース)
【最優先1a】三重ノ海剛司 - Wikipedia(日本語版)
日本相撲協会 公式サイト「歴代横綱 第57代 三重ノ海」/「力士プロフィール 三重ノ海 剛司」
コトバンク(デジタル大辞泉/講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)「三重ノ海剛司(ミエノウミツヨシ)」
Weblio辞書(大相撲力士データベース)「三重ノ海剛司とは」(入門経緯・新弟子検査の項)
時事ドットコム 写真特集「横綱ヒストリー 第57代三重ノ海」
読売新聞「元横綱三重ノ海(先代武蔵川親方)夫妻に聞く」(2024年4月17日、本人インタビュー)
佐田の山晋松 - Wikipedia(日本語版)(9代出羽海・弟子指導の項)
千代の山雅信 - Wikipedia(日本語版)(出羽海部屋付き九重時代の項)
ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ 出羽海部屋』
相撲データベース SumoDB「第57代横綱 三重ノ海 剛司(みえのうみ つよし)」全取組・対戦成績データ
※本動画は上記の公式資料・本人証言・報道記事に基づき、関係者への最大限の敬意を持って制作しています。 ※画像・映像素材は引用の要件を満たす範囲で使用しています。
#相撲伝説と闇 #三重ノ海 #出羽海部屋 #大関特例復帰 #たんこぶ検査