築山殿(瀬名姫)|なぜ徳川家康の正室は命を奪われたのか ―「私のいない明日」@yoiirootome
宵色乙女図鑑
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築山殿(瀬名姫)|なぜ徳川家康の正室は命を奪われたのか ―「私のいない明日」@yoiirootome
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徳川家康の正室・築山殿(瀬名姫)。
徳川家康の妻として生きながら、夫とは長く離れて暮らし、
最後は家康の家臣によって命を奪われたと伝わる女性です。
築山殿について調べれば調べるほど、
私は彼女に感情移入してしまい、
この作品を作ることが少し苦しくなりました。
今川家に連なる家に生まれ、
今川家の人質だった家康と夫婦になったこと。
その後、家康が今川家から離れ、
今川義元を討った織田信長と同盟を結んだこと。
家康が浜松へ本拠を移した後も、
築山殿は岡崎に残り、夫婦は離れて暮らし続けたこと。
そして1579年、
築山殿は生涯を閉じます。
なぜ、彼女は命を奪われなければならなかったのか。
築山殿をめぐっては、武田家との内通疑惑や、
織田信長との関係など、後世さまざまな物語が語られてきました。
しかし、彼女自身が何を考え、何を感じていたのかを伝える言葉は、
ほとんど残されていません。
だからこの曲では、
築山殿を「悪女」や「悲劇の女性」という一つの言葉に閉じ込めるのではなく、
自分では選べない出来事によって人生を変えられていく一人の女性として描きました。
『私のいない明日』
史実をもとにしながら、
記録には残らなかった築山殿の心情を想像して制作したオリジナル楽曲です。
※楽曲中の心情・台詞は史料に残された言葉ではなく、史実をもとにした創作表現を含みます。
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