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なぜ島津家は滅亡しなかったのか?関ヶ原敗戦と驚異の生存戦略

歴史のゆくえ

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なぜ島津家は滅亡しなかったのか?関ヶ原敗戦と驚異の生存戦略

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歴史のゆくえ
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秀吉の九州攻めに敗れ、九州の大半を失った島津家。関ヶ原でも、家康と戦う西軍の側にいました。 二度負けた家は、なぜ国を残し、明治まで続いたのか。 根白坂で秀吉の弟・秀長の軍に敗れたあと、頭を丸めて泰平寺の秀吉に降伏した兄の義久、関ヶ原の「島津の退き口」で伯父の身代わりとなった甥の豊久、家康と交渉した息子の忠恒。島津義弘(しまづよしひろ)と、その家族それぞれの役割を、資料をもとにたどります。 ※台本は、辞典・研究ノート、鹿児島県・宮崎県・岐阜県の自治体や博物館の解説、東京大学史料編纂所の刊行紹介にもとづき、確かなことと、言い伝え・研究者の見方を分けて語っています。 ※次の話は諸説ある話・言い伝えとして紹介しています(画面に「※諸説あり」と表示):義弘が身分の低い兵士とも囲炉裏を囲み、家臣に子が生まれると館へ招いて祝ったという話/末弟の家久が秀長の陣所で毒殺されたという説/豊久が烏頭坂(いまの岐阜県大垣市上石津町)あたりで殿となって討ち死にしたという話。関ヶ原の午前に義弘が防御に徹し援軍の求めを拒んだこと、生涯に五十二回の手柄を立てたことは「〜とされる」「〜と言われる」として紹介しています。島津家が国を残せた理由は、辞典と島津家の博物館の説明を比べたうえでの、この動画の見方です。 ※秀吉の朝鮮への出兵と、1609年の琉球への出兵は、侵攻として語っています。薩摩焼は、朝鮮から無理やり連れてこられた職人たちの手から始まった焼き物として紹介しています。 ※秀吉・家康は肖像画で示しています。島津義弘・義久・家久・豊久・忠恒・歳久・斉彬など、肖像を使っていない人は、シルエットと名前の札で示しています(秀長・宇喜多秀家は名前の札だけ)。石垣の写真は現在の写真です。 ■ 目次 0:00 序 二度の負けのあと 0:41 第一章 義弘と兄の、戦場の外の顔 3:51 第二章 旅する末弟と、もう一人の弟 7:13 第三章 根白坂の夜 9:08 第四章 頭を丸めた兄 12:27 第五章 関ヶ原から帰る道 15:11 第六章 伯父を逃がした甥 17:06 第七章 息子が引き受けた交渉 19:37 第八章 南の海と、家の受け渡し 21:41 第九章 集成館の工場、その後の戦火 23:45 結び 敗れたあとに残したもの ■ 前の回・あわせて見たい回 10/25 公開の秀次の回(前の日の回) 10/24 公開の五大老の回(関ヶ原のあと薩摩の島津氏のもとへ逃れた宇喜多秀家も登場) 次回(10/27):蜂須賀小六の家(秀吉の最古参の家臣) ■ 音声・制作 ナレーションはAI音声(Google Gemini TTS)です。台本は資料をもとに独自に作成しています。 冒頭の1枚絵と、物と場所の一部の画像(海・港・陣・山道・田畑・寺の境内・部屋・工事の場 など)は AI で生成したイメージで、画面に「AI生成のイメージ」と表示しています。実際の写真や、史料にもとづく復元図ではありません。歴史上の人物の顔は AI で作っていません。 地図・家系図・相関図・年表・シルエットは自作です。 地図:Natural Earth(パブリックドメイン)のデータから作成 南蛮図屏風・茶碗・見台の写真は、その時代の作品の例として示しています(島津家の品や薩摩焼ではありません)。 ■ 画像の出典 ・関ヶ原合戦屏風(作者不詳)岐阜市歴史博物館蔵/Wikimedia Commons(PD) ・豊臣秀吉像(狩野光信筆・1601年頃)高台寺蔵/Wikimedia Commons(PD) ・茶碗(桃山時代・1600年頃)クリーブランド美術館 1983.158/CC0 ・菊秋草蒔絵見台(17世紀初)クリーブランド美術館/CC0 ・『新撰増補京大絵図』1686年/国立国会図書館デジタルコレクション(PDM) ・肥前名護屋城図屏風(狩野光信)/Wikimedia Commons(PD) ・徳川家康像(伝 狩野探幽)/Wikimedia Commons(PD) ・洛中洛外図屏風(池田本・部分)伏見城/Wikimedia Commons(PD) ・『関ケ原軍記』(1885年刊)表紙/国立国会図書館デジタルコレクション(PDM) ・鹿児島城(鶴丸城)の石垣(現在)/撮影:Ippukucho/Wikimedia Commons・CC BY 3.0 ・慶長大判(江戸時代の金貨)東京国立博物館蔵/撮影:Ka23 13/Wikimedia Commons・CC0 ・南蛮図屏風(1600年頃)クリーブランド美術館 1960.193.1/CC0 ・鳥羽・伏見の戦いの図(1870年の刷り物・作者不詳)/Wikimedia Commons(PD) 鹿児島城(鶴丸城)の石垣の元の画像:ttps://commons.wikimedia.org/wiki/File:TsurumaruCastleStoneWall.JPG(CC BY 3.0 ttps://creativecommons.org/licenses/by/3.0/deed.ja) 画像には、切り抜き・拡大縮小・明るさの調整・周りを暗くする加工・ゆっくり寄る動き・文字と図の重ねを加えています。 各画像の出典は画面右上にも表示しています。 ■ 主な参考 各種事典(コトバンク:島津義弘・島津義久・島津家久・薩摩藩・九州征伐・佐土原藩 ほか)・『世界大百科事典』・『日本大百科全書(ニッポニカ)』・『日本人名大辞典』 鹿児島県歴史・美術センター黎明館の解説(関ヶ原の戦いと島津氏・朝鮮の陶工・島津歳久・島津家久書状・豊臣秀吉朱印状)と研究ノート(宮下愛「行事や慣習に生きる島津豊久」2020年) 榎原雅治の講演(2011年・島津家久の上京日記)、東京大学史料編纂所の刊行紹介(『大日本史料』第十編之二十八・島津家文書) 尚古集成館(島津家の歩みと貿易)、木城町(根白坂・高城)・宮崎市(天昌寺跡ほかの史跡)・関ケ原町・岐阜関ケ原古戦場記念館・岐阜県の観光公式サイト・姶良市・鹿児島県・板橋区の解説 日記・書状などの史料は、刊本・上の解説を通して参照しています。 #豊臣兄弟 #豊臣秀吉 #島津義弘 #島津家 #関ヶ原の戦い #日本史