旅の夜風(霧島昇・ミス・コロムビア)映画『愛染かつら』が生んだ日本初ミリオンセラーをAIカバー
心に残る昭和の名曲たち
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旅の夜風(霧島昇・ミス・コロムビア)映画『愛染かつら』が生んだ日本初ミリオンセラーをAIカバー
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心に残る昭和の名曲たち
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1938年 作詞:西條八十 作曲:万城目正
1938年(昭和13年)に公開された松竹映画『愛染かつら』の主題歌として発売され、瞬く間に大ヒットして1年間の累計売上は120万枚を超え、日本のレコード史上初めてのミリオンセラー曲となりました。
A面は霧島昇とミス・コロムビアが歌い、B面の『悲しき子守歌』はミス・コロムビアだけの歌唱ですが、霧島昇とミス・コロンビアは共に東京音楽学校(現=東京芸術大学)の出身でミス・コロンビアこと松原操(まつばらみさお)は霧島の学校の先輩であり年も3歳年長でした。
松原操は在学中にコロムビアレコードから『浮草の唄』を吹き込みデビューを果たしましたが、淡谷のり子が流行歌の歌手になったという理由で卒業名簿からその名を抹消されたという時代の、しかも松原は在学中のデビューですから放校処分になりかねません。
そこでミス・コロムビアという名の覆面デビューとなりました。
同じく東京音楽学校の先輩である小林千代子が、ビクターからのデビュー当時に「金色仮面」として売り出したところ話題を呼んでヒット歌手となったことから、世間はミス・コロムビアという芸名を抵抗なく受け入れ、『旅の夜風』を吹き込むまでに松原はすでに9枚のレコードを出してヒット曲を連発し大スター歌手になっていました。
それまでにも2曲ほど霧島とミス・コロムビアのデュエットでレコードを吹き込んではいましたが、『旅の夜風』の大ヒットを受けて世間から「愛染コンビ」と称されて一緒に舞台に立つ機会や巡業に同行する機会が増えて二人は急接近、翌年には結婚されることになります。
今度は「愛染夫婦」などと呼ばれたそうです。
霧島昇は福島県の現在のいわき市近郊の農家の三男坊として生まれ小学校卒業時に上京、中学時代はボクサーを目指していましたがこれを断念した頃に藤原義江のレコードを聴き、歌手になることを決意してたいへんな苦学を重ねながら東洋音楽学校を卒業したという努力の人。
戦前はもちろん戦後にも数々のヒット作を連発したこの著名な霧島昇については、明後日に公開予定の『誰か故郷を思わざる』で記させて頂きます。
川口松太の小説を原作にした田中絹代主演の松竹映画『愛染かつら』は、翌年制作された『続・愛染かつら』と合わせてそれぞれ前後編の4部作となり、それらすべてが映画史に残る空前の大ヒットとなりました。
『愛染かつら』のラストで主人公の高石かつ枝が劇場で『悲しき子守歌』を歌うシーンは、ミス・コロムビアの唄うアフレコなのですが、当時はあまり知られていなかった撮影方法でしたので、女優の田中絹代はこんなにも歌が上手だったのかと大評判になったそうです。
また『続・愛染かつら』の撮影中に、松竹大船撮影所撮影主任が映画法に違反した罪を問われて逮捕されるという騒動が起こりました。
映画法で禁止された子女の深夜労働禁止規定に反したという罪状ですが、田中絹代は当時30歳の堂々たる女優でしたが、女性の夜の10時以降の労働は禁じられていたのです。
天下の悪法だとか云われた映画法ですが、芸能人や映画制作に携わる人とは云えども、子供や女性は過労働から保護するという意識が社会にしっかり根ざしていた時代だったのですね。
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