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【秀長の死の謎】弟を失った豊臣家に何が起きたのか?一次史料に残る、4年半で消えた跡継ぎたち【豊臣兄弟!】

大河の向こう側

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【秀長の死の謎】弟を失った豊臣家に何が起きたのか?一次史料に残る、4年半で消えた跡継ぎたち【豊臣兄弟!】

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大河の向こう側
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天正19年(1591年)正月、豊臣秀長が大和の郡山城で亡くなりました。奈良の僧は日記に「この国はどうなっていくのか、心細い」と書きます。 それから4年半のうちに、秀吉の跡継ぎの鶴松、秀長の家を継いだ秀保、関白になった秀次が、次々にいなくなりました。 奈良・興福寺の僧の日記『多聞院日記』と、関白秀次の側近の日記『駒井日記』を、日付の順に並べてたどります。 画面のはんこは4つ。書き手がその場で見たことや当事者の命令は「当時の記録」、人から聞いて書いたものは「伝え聞き」、江戸時代以降の本にしか出てこない話は「後世の逸話」、研究者で見方が分かれるところは「諸説」としています。 📌 この動画でわかること ・秀長が亡くなった年の夏、郡山から奈良の寺に届いた祈りの頼み ・鶴松の死の3日後に奈良に届いた「天下を秀次へ」の噂 ・唐入り(朝鮮出兵)の準備は、いつ命じられていたのか ・奈良の町から見た唐入り(人夫・犬・延期の噂・出陣の見物) ・十津川からの知らせを日ごとに書いた、関白の側近の日記 ・「秀長が生きていれば」という言い方は、どこから来たのか 本編で追いかける3つの謎 ・鶴松が死んだ翌日、秀吉は何を告げたのか ・秀長の家を継いだ秀保に、何が起きたのか ・「秀長が生きていれば」は、だれの言葉か 秀長が生きていたら、豊臣家はどうなっていたと思いますか? コメントで教えてください。 次の回も見たい方は、高評価とチャンネル登録をお願いします。 ⏱ 目次 0:00 オープニング:秀長の死と「心細い」という日記 1:52 1章 秀長が残した家|天正19年正月 2:45 2章 郡山からの祈り|天正19年8月 4:47 3章 翌日に告げたこと|天正19年8月6日 6:55 4章 天下を秀次へ|天正19年8月から12月 8:27 5章 奈良から見た唐入り|天正20年 10:53 6章 十津川からの知らせ|文禄4年4月 14:09 7章 87日後|文禄4年7月 16:35 8章 「生きていれば」の出どころ|江戸から大正 18:20 まとめ|3つの謎の答え ※日付は当時の暦です。天正19年正月22日は、西暦では1591年2月15日にあたります。年齢は数え年です。 ※秀長の死後の豊臣家の史実を扱います。ドラマを先に楽しみたい方はご注意ください。 ※この動画は、NHKおよび大河ドラマ『豊臣兄弟!』の制作とは関係のない、個人の歴史解説です。番組の映像や写真は使っていません。 ※ナレーションはAIの音声です。「AIによる再現イメージ」と出ている絵はAIで作った想像の絵で、史料ではありません。内容は下の史料と研究をもとに、人が確かめています。 📚 おもな史料・参考 ・『多聞院日記』第4巻・第5巻(辻善之助編・1939年、国立国会図書館デジタルコレクション) https://dl.ndl.go.jp/pid/1207483 / https://dl.ndl.go.jp/pid/1207496 ・『駒井日記』(『史籍集覧』第25冊・1907年、国立国会図書館) https://dl.ndl.go.jp/pid/1920418 ・東京大学史料編纂所編『史料綜覧』巻12・巻13(国立国会図書館) https://dl.ndl.go.jp/pid/2994258 ・渡辺世祐『豊太閤と其家族』(1919)、徳富蘇峰『近世日本国民史 豊臣氏時代 丙篇』(1921)、山路愛山『徳川家康』(1915)(国立国会図書館) ・国立天文台「日本の暦日データベース」(西暦と日数の計算) 🖼 画像:Wikimedia Commons・国立国会図書館ほか。作者とライセンスは各場面の右上に表示しています。一覧(各ページへのリンクつき)はコメント欄に載せています。 #豊臣兄弟 #大河ドラマ #豊臣秀長 #豊臣秀吉 #豊臣秀次 #鶴松 #多聞院日記 #朝鮮出兵 #日本史 #歴史解説 #大河の向こう側