三宅と和樹のソース×サソースラジオ #3 学校ってどんな場所だった?
寺子屋みなてらす
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三宅と和樹のソース×サソースラジオ #3 学校ってどんな場所だった?
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「三宅と和樹のソース×サソースラジオ」は、寺子屋みなてらす理事長の三宅祐也と専務理事の渡邊和樹が、毎週気になるテーマについてざっくばらんに語り合う番組です。
番組名は、組織や活動がどのように生まれ、育っていくかを考える「ソース原理」から着想を得ました。
ソース原理について詳しく知りたい方はこちら:
https://r3s.jp/magazine/jp/source_pri...
「ソース」は、活動の最初の一歩を踏み出す1人を指します。それに対して「サソース」は、ソース原理において「ソース」を支える役割として規定される「サブソース」が、実は活動をしていくなかで「ソース」以上に「ソース」的になることもあるのではないかという問いから、「サブソース」よりも「ソース」に肉薄した存在として、生まれた言葉です。
このラジオでは、寺子屋みなてらすの「ソース」である三宅と、「サソース」である和樹が、日々の実践を入口に、組織や場づくり、仕事や生き方について話します。二人の見方の違いも楽しみながら、いま考えていることを、そのまま言葉にしていきます。
★タイムスタンプ
00:00 オープニング――映画をきっかけに学校時代を振り返る
02:30 寺子屋みなてらすと「教育」の距離感
04:34 三宅の小学校時代――落ち着きのない子から優等生へ
09:26 学級委員長になった理由と、学校での立ち回り
12:52 「いい子」と見られることへの複雑な気持ち
17:40 アレルギー、入院、伝統芸能とともに過ごした日々
20:30 和樹の小学校時代――行きたくなかった1年生
22:50 勉強が得意だと気づき、出会った先生たち
27:14 図工がある金曜日の記憶
30:00 中学校での和樹――優等生と、反抗への疑問
35:46 同じ教室でも、授業の感じ方は人によって違う
39:46 三宅にとって授業は苦しかった――家で重ねた勉強
46:20 人から聞いて学ぶ和樹、自分で学ぶ三宅
51:05 同級生の知らなかった一面と、学校という場所
54:00 気が合わない人の中で、つながれる人と出会う
58:00 地域の公立学校で得たもの
1:01:23 地元の同級生に、実は少し会いたい
1:02:40 エンディング――教育の話はまた次回に
★ChatGPTによる第3回の要約
第3回は、和樹が映画を観て自分たちの小中学校時代を思い出したことから、「学校は自分にとってどんな場所だったか」を話します。寺子屋みなてらすは子どもたちの学習を支えていますが、二人は特定の教育方法を広めたり、学校教育への対抗として活動したりしているわけではありません。今回は教育のあり方について結論を出す前に、まず自分たちが子どもとして経験した学校を振り返ります。
三宅は、小学校の前半には落ち着きがなく、周囲を困らせることも多かったと話します。4年生頃から伝統芸能を習い、学校の外の大人に出会ったことをきっかけに、自分で勉強するようになりました。その後は成績のよい、目立つ子になり、学級委員長も繰り返し務めます。ただ、その立場は単に学校の中心にいたかったからではありません。運動が得意ではなく、集団の空気を読むことにも難しさを感じていた三宅にとって、先生や同級生と関係を築くことは、学校で自分の居場所を守る方法でもありました。一方で、「自分は悪いことをしない子だ」と決めつけられることには、複雑な気持ちもあったと振り返ります。
和樹は、小学1年生の担任と折り合わず、学校へ行きたくなかった記憶を語ります。特に図工の授業がある日はつらかった一方、2年生では自然のなかで活動する先生に出会い、6年生では歴史への関心を広げてくれる先生に出会いました。勉強が得意だと気づいてからは、学校に適応し、優等生として過ごすようになります。同じ学校生活のなかに、つらい経験と、その後も続く大切な出会いの両方がありました。
中学校の話では、二人がともに成績のよい生徒だったにもかかわらず、授業の経験はまったく違ったことが明らかになります。和樹は先生の話を聞くと理解でき、授業の時間そのものを楽しめました。三宅は授業中に説明を理解するのが難しく、家で教科書を読み、問題を何度も解くことで成績を上げていました。外から見れば同じ「勉強のできる生徒」でも、教室で感じていたことは違います。
そこから和樹は、当時の自分には、勉強が苦手な同級生にとって授業がどれほど長く、つらい時間になり得るかが見えていなかったと話します。大人になってから昔の同級生と話し、学校では「問題児」と見ていた人の別の一面を知った経験も重なります。同じ教室に毎日いても、その人が何を感じ、どんな関係を生きているかは、ほとんど知らずにいたのかもしれません。
三宅は、学校を「みんなと仲良くなる場所」というより、気の合わない人も大勢いるなかで、大切にしたい相手と出会う場所として捉え直します。地方の公立学校で、さまざまな人と一緒に過ごしながら人間関係を学べたことへの感謝も語ります。終盤には、距離を置いていたつもりの地元の同級生の集まりにも、実は少し誘われたいという本音が出てきました。
二人の学校時代を通じて、同じ場所で過ごしても経験は一人ひとり違うこと、そして一緒にいるだけでは互いの世界を知ったことにはならないことが浮かび上がる回です。教育そのものについては、今回の話を踏まえてまた話したい、と締めくくります。