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芳賀で学ぶ発達障害、精神科医が解説します。

精神科医 芳賀高浩

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芳賀で学ぶ発達障害、精神科医が解説します。

33 583 просмотра · 2 месяца назад
精神科医 芳賀高浩
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こんばんは。精神科医の芳賀高浩でございます。 今日はですね、「全く他人事じゃないよ、発達障害」というテーマでお話しします。 自分の中に発達障害的な要素が、正直、すごくあるんですよ。そこで今回は、発達障害について改めて整理しながら、「これ、全部俺に当てはまるじゃないか」という視点で、皆さんと一緒に勉強していこうと思います。 発達障害といってもいろいろありますが、主にASD、自閉スペクトラム症と、ADHD、注意欠如・多動症があります。LD、学習障害もありますが、これは教育現場で使われることが多い用語です。一般的に発達障害というと、まずASDとADHDを考えると分かりやすいと思います。 まずASDからいきましょう。ASDの特徴は大きく三つあります。 一つ目は、いわゆる「空気が読めない」こと。 二つ目は、こだわりが強いこと。 三つ目は、感覚過敏です。 ただ、「空気が読めない」「こだわり」「感覚過敏」と言われても、ふーん、で終わってしまうと思うので、私自身の例で説明します。 まず、空気が読めないことと、こだわりのコンビネーションです。私は昔、Xをやっていて炎上したことがあります。今でも「芳賀先生 炎上」と検索すると出てくるかもしれません。主な炎上の一つが、「精神科の薬を飲んで太るのは、結局は摂取カロリーが消費カロリーを上回っているからだ」という内容の投稿でした。 もちろん真意はいろいろあります。精神科の薬によって代謝が落ちることもありますし、食欲が増すこともあります。同じように食べているつもりでも、満腹感の基準が変わり、結果として摂取量が増えてしまうこともあります。だからこそ、「食べすぎだ」で終わらせるのではなく、そこからどうしたら食べすぎずに済むのかを一緒に考えよう、というのが私の医師としての姿勢でした。 私は、きれいごとではなく、どうやったら解決するのかを考える、ソリューション型の医師でありたいんです。だから、今でも自分としては悪いことを言ったとは思っていません。ただ、そう言われて嫌な気持ちになる人がいることも分かります。そこは分かるんです。分かるけれど、自分の中の「本当のことを言いたい」「解決につながることを言いたい」というこだわりが勝ってしまう。 普通は、相手が嫌な気持ちになるかもしれない、叩かれるかもしれない、炎上するかもしれない、ということの優先順位が高いんです。でもASD傾向がある人は、そこが相対的に低くなることがあります。全く分からないというより、分かってはいるけれど、自分のこだわりや正しさの優先順位が高くなってしまう。これが、ASD傾向としての「空気の読みにくさ」なのだと思います。 こだわりというのは、自分のやり方、自分の考え、毎日のルーチンを強く優先してしまうことです。SNSでは、耳障りのいいことや教科書的なことを言っていれば炎上しにくいです。たとえば「生きているだけでいいんだよ」と優しく言い続ければ、聞いている側も安心するし、叩かれにくい。でも私は、実際の診療の中で感じていること、実際にはこう考えた方が解決に近づくよね、ということを言いたくなってしまう。そのこだわりが強い。炎上リスクと天秤にかけても、こだわりを優先してしまう。そこにASD傾向があると思います。 三つ目は感覚過敏です。私はいつもスクラブを着ています。ポリエステル65%、綿35%の、スマートスクラブスというアメリカのメーカーのものです。スクラブは、洗っても型崩れしにくく、伸びにくく、色落ちもしにくい、医療現場でよく使われる服です。 このスクラブの肌触りと形が、私はすごく好きなんです。首元が開いていて、裾も絞られていない。体にまとわりつかない感じがしっくりくる。逆に、かっこいいなと思って買った服でも、肌触りや形が少しでもしっくりこないと、ほとんど着ません。一、二回着て、そのままお蔵入りになって、最後は捨ててしまうことも多いです。 アウターもほとんど決まっています。黒いモンベルのフリース、青いモンベルのフリース、あとはパタゴニアのフリースくらいです。これはケチだからとか、服に興味がないからではなく、肌に触れる感覚へのこだわりが非常に強いからです。着られないわけではないけれど、不快で、結局着なくなる。これが感覚過敏です。 まとめると、ASDの特徴は、空気が読みにくい、こだわりが強い、感覚過敏がある。この三つです。 次にADHDです。ADHDの特徴も三つあります。 不注意、多動性、衝動性です。衝動性は、私は「脱抑制」と言った方がしっくりきます。 まず不注意です。不注意というと忘れ物が多い、というイメージがあります。ただ、社会人になると、学生時代のような「忘れ物」は意外と目立ちにくくなります。私の場合に一番分かりやすいのは、車の鍵です。 車の鍵を、家のいろいろなところに置いてしまうんです。トイレの手洗い場の下の棚だったり、本棚の隙間だったり、車の中だったり。その瞬間は、なんとなく「ここでいい」と思って置くのですが、その直後にはもう忘れている。どこに置いたのか全く分からなくなる。そして困り果てて、また鍵を作る。そうすると不思議なことに、前の鍵が出てくる。これが何度も繰り返されて、毎年一個ずつ鍵が増えるような状態でした。 さすがにまずいということで、妻の発案で、台所に小さなガラス瓶を置き、車の鍵は必ずそこに入れることにしました。入れていないと怒られる。そのルールを一年くらいかけて身につけました。これはかなりADHD的だと思います。注意をどこに向け、どう維持するかが苦手で、その時は注意が向いていても、すぐに別のものへ移ってしまう。記憶として固定されにくいんですね。 次に多動です。多動というと、じっと座っていられない、落ち着きがない、というイメージがあります。ただ、ここには例外があります。ADHDの人は、報酬系が作動している時にはものすごく集中できるんです。いわゆる過集中です。 ADHDは、前頭前野におけるドーパミンやノルアドレナリンの働きのバランスが関係していると考えられています。だから、報酬があるもの、面白いもの、変動報酬があるものには強く引き込まれやすい。一方で、報酬系が作動しない状況では、集中が続きにくい。 たとえば授業参観です。自分の子どもが出ている場面は、ものすごく集中して見ます。子どもが何をしているのか知りたいし、そこには自分にとっての報酬がある。でも、よそのお子さんの発表が続いたり、自分に関係のない時間が続いたりすると、途端に退屈で仕方なくなる。その場にじっとしているのが本当に苦しくなる。 法事でお経を聞いている時もそうです。普通は、退屈でも「ここは我慢しなければ」と思って座っていられる。でもADHD傾向があると、報酬が全くない状況でじっとしていることが非常に難しい。集中が保てず、どこかへ行きたくなる。これが多動性です。 最後に衝動性、つまり脱抑制です。脱抑制とは、何かをしたいと思った時に、それを理性で抑える力が弱いということです。よく「順番を待てない」「行列が苦手」と説明されますが、それだけでは少し分かりにくいと思います。 たとえば、欲しいものが目の前にあるとします。理性が働かなければ、取ってしまった方が得です。お金を払わずに手に入る。でも普通は、万引きは悪いことだ、捕まったら大変だ、社会のルールは守らなければいけない、と理性で抑えています。ADHD傾向があると、この「報酬がありそうなこと」に強く引っ張られやすく、それを理性でぐっと抑える力が弱くなることがあります。 怒りも同じです。腹が立った時、相手を傷つけたい、言い返したい、殴りたいという衝動が出ることは、誰にでもあります。ただ多くの人は、それを理性で抑えています。ADHD傾向では、そのブレーキが弱くなりやすい。これが衝動性、脱抑制です。 私自身も、昔からやらかす子でした。中学三年生くらいまでは万引きをしていた時期もあります。もちろん良いことではありません。ただ、当時の自分を振り返ると、報酬系と衝動性が強く関係していたのだと思います。大人になるにつれて理性が育ち、知識や経験で外側から固めることで、そうした行動は抑えられるようになりました。それでも、根っこの傾向は残っていると感じます。 ASD傾向でいえば、SNSでは炎上しやすい。服や靴は感覚が合わないと無駄になる。毎朝筋トレをすると決めたら、たとえ毎日やる意味が薄くても、やらないと気持ち悪い。これは強迫症状とも重なる部分がありますが、私の場合はASD的なこだわりとして理解すると分かりやすいと思います。 ADHD傾向でいえば、物をどこに置いたか分からなくなる。報酬系が作動しない場所ではじっとしていられない。報酬があるものに引き寄せられた時、理性で抑えるのが苦手になる。これが不注意、多動性、衝動性です。 こうやって私を通じて学ぶと、ASDやADHDが少し分かりやすくなるのではないでしょうか。 私は社会生活を送り、医師として働いています。だから、傾向はあっても、障害とまでは言えない部分もあります。発達特性が「傾向」なのか「障害」なのかは、社会生活にどの程度支障が出ているかによります。困ることはありますが、私はもともと根が明るく、あまりぐちぐち考えないところもありますし、恵まれている部分も多いので、何とかやってこれたのだと思います。 ただ、発達特性が強く、さらに環境や能力や支援に恵まれない場合には、日常生活の困りごとはかなり大きくなります。だからこそ、自分の特性を知り、苦手なところを仕組みで補い、周囲にも理解してもらうことが大切です。 今日は、「芳賀を通じて学ぶASD、ADHD」ということで、発達障害について一緒に考えてみました。 さて、最後に本の紹介です。『私の中の希死念慮ちゃん』を少し読みます。 「最初から『あなたは間違っている、考え直しましょう』と押しつけたところで、心には届きません。それよりも、私がかけた言葉に相馬さんが、なんとなく納得できる気がした、とふと感じること。そういう“なんとなく”を少しずつ積み重ねていくんです」 いいことが書いてありますね。人は、いきなり正論を言われても聞けません。できていることや、今あるものに目を向けることを、繰り返し肯定的に伝えていく。まるで温かいシャワーのように、何度も浴びせていく。そのうちに、少しずつ考え方が変わっていく。 「私は私。自分にだってできることがある」 こういう一言が出てくるまでには時間がかかります。でも、相対評価の呪縛から、絶対評価の安心へと、ほんの少しずつ心の軸を移していくことはできます。 今日もいい文章でしたね。これ、本当に私が書いたんですかね。自分で書いた本ですが、私が書いたとは思えないくらいいい本です。よろしければ、Amazonでポチッとよろしくお願いいたします。 精神科医の芳賀高浩でした。 明日も必ず19時にお会いしましょう。 ではまた皆さん、また明日。さようなら。