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統合失調症の差別と戦いたい!精神科医が語ります。26分動画

精神科医 芳賀高浩

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統合失調症の差別と戦いたい!精神科医が語ります。26分動画

14 428 просмотров · 2 месяца назад
精神科医 芳賀高浩
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こんばんは。精神科医の芳賀高浩です。 今日は「どんな精神疾患が、いちばん差別の対象になっているのか」、そして「その現状を変えるために何ができるのか」を、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。よろしくお願いします。 最初にお断りしておくと、ここでいう「差別」は、世の中全体の話というよりも、医療の現場、とくに入院調整の場面で起こる“扱われ方の差”“線引きのされ方”を指しています。全国すべての医療機関に当てはまるとは言いません。ただ、僕自身が内科医として約10年働き、いまは訪問診療も行い、病状が悪くなった患者さんの入院先を探す中で、「これはきついな」「この病名だと一気に難しくなるな」と感じた実感に基づいてお話しします。 結論から言うと、僕は「統合失調症」だと思っています。いちばん差別されている、というより「いちばんビビられている」。入院先を探すときに、受け入れが決まらない、もしくは入口でシャッターが降りる。そういう意味で、統合失調症は突出して壁が厚いと感じます。 なぜこうなるのか。理由はいくつもあります。まず前提として、精神科の病気は、具合が悪くなって入院となると、多くの場合「精神科病院」に集約されます。呼吸器が悪くなったら呼吸器だけの病院へ、みたいな流れは通常ありませんよね。ふつうは総合病院で診ます。でも精神科は、総合病院から病床が減り続けています。精神科病棟そのものを持たない総合病院が増えました。 これには構造的な事情があります。総合病院は、週単位で病状が変わり、短い期間で治療が一区切りつく病気を多く扱います。DPCの仕組みもあり、入院初期は点数が高いけれど、長期化すると出来高が下がっていく。つまり「早く治療して早く次の患者さんを診る」ことが、病院全体の運営と相性がいいわけです。 一方で、精神科の入院は、どうしても“月単位”になりやすい。もちろん個人差はありますが、うつ病ですら数週間から数か月、統合失調症ならなおさらです。週単位で回る組織の中に、月単位で変化する患者さんがいると、病院全体のリズムが合わなくなってしまう。結果として、精神科の入院は精神科病院にまとめられる。これは患者さんのせいではなく、仕組みの問題です。 そして、ここが次の問題につながります。精神科病院に集約されることで、一般科の医師が「統合失調症の患者さんと関わる機会」が激減します。関わらないものは、怖くなる。これは人間の自然な反応です。 たとえば、うつ病なら、多くの先生が抗うつ薬を処方した経験があります。睡眠薬や抗不安薬も、内科や外科の先生でも扱うことがある。気分安定薬も、てんかん領域で触れる先生は少なくない。だから「この薬はこのくらいの量で、このくらいの副作用がありそうだ」という肌感覚が、ある程度共有されます。 でも抗精神病薬は、一般科の先生が若い統合失調症の患者さんに“主治医として”しっかり使う機会がほとんどありません。リスペリドン6mgがどれくらいの強さなのか、オランザピン10mgがどういう意味を持つのか、経験がなければ怖い。知らない薬は、誰だって怖いんです。さらに「リチウムは危ないらしい」「抗精神病薬は太るらしい」「急に悪化して暴れるらしい」みたいな“断片情報”だけが耳に入ると、怖さは増幅します。 僕が総合病院で働いていた頃、近隣の精神科病院から「骨折しました」「腹痛です」「肺炎です」といった身体疾患の転院依頼が来ることがありました。医療としては、ごく普通のコンサルトです。ところが、担当する科の先生が「統合失調症って書いてあるから、精神科で診てくれない?」「うちの病棟で何か起きたら責任取れないよ」と言い出す。僕が「薬も一定で落ち着いているみたいですよ」「暴力歴もないですよ」「むしろ無気力で困っているタイプですよ」と説明しても、「でも、どこかのタイミングで陽性症状が爆発して、病棟で暴れたらどうするの?」となる。 ここで現場の本音として大事なのは、総合病院の多くは“精神科病棟を持っていない”ということです。つまり、万が一せん妄や興奮が起きたときに、院内で受け皿を移せない。隔離室もない。スタッフも慣れていない。だから「受けたくない」という気持ちになる。これもまた、個人の悪意というより、仕組みと経験の不足から生まれる不安なんです。 ただ、その不安の土台になっているイメージが、現実とズレていることが多い。ここを僕は強く言いたい。 統合失調症というと、皆さんはまず幻覚や妄想を思い浮かべると思います。「被害妄想で周りが敵に見える」「幻聴が命令してくる」みたいな、怖いイメージが先に来る。でも、臨床で多い苦しみは、そこだけじゃありません。むしろ長期的に問題になるのは陰性症状です。意欲が湧かない。段取りが組めない。外に出る気力が出ない。人付き合いが負担になる。生活が乱れる。結果として家に引きこもり、孤立し、身体も不健康になっていく。 これは本人の「怠け」ではありません。脳の調子の問題です。よく単純化して「ドーパミンが過剰」と言われますが、実際には部位ごとにバランスが崩れ、情報の重みづけが変わってしまう。目の前のことが過剰に意味を持ったり、逆に人生の大事なことが意味を持てなくなったりする。だから、外側から見ると「分からない」「理解しにくい」になる。でも、分からないからこそ、丁寧に知っていく必要があるんです。 そして、僕が日々感じるのは、統合失調症の方って、基本的に“優しい人が多い”ということです。もちろん人それぞれですが、他者を踏み台にして勝ち上がるような競争にさらされにくくなる分、ある種の“擦れた感じ”が育ちにくい。体は大人になっても、心の一部が少年や少女のまま時間が止まったように見える方がいる。純真で、悪意が薄い。なのに「危ない」と決めつけられる。これ、あまりにも理不尽だと思いませんか。 もちろん、精神疾患がない人の中にも犯罪をする人はいますし、精神疾患がある人が絶対に安全だと言いたいわけではありません。そんな「完全に安全な集団」なんて、どこにも存在しません。でも少なくとも、「統合失調症=暴力的」という短絡は、現実と釣り合っていないことが多い。統合失調症の方の多くは、外に向かって暴れるより、内側で消耗している。割を食っているのは、まず本人です。そこにさらに「危ない人」という烙印が乗ったら、泣きっ面に蜂どころか、パンチのあとにキックですよね。 統合失調症は、100人に1人と言われるくらい、決して珍しい病気ではありません。それなのに、話題になりにくい。ドラマでも小説でも、真正面から丁寧に描かれることが少ない。うつ病は、多くの人が「落ち込む」「やる気が出ない」といった延長線上で想像できます。でも幻覚や妄想は、多くの人にとって“延長線上”がない。分からないものは怖い。だから、誤解が温存されます。 さらに歴史的な事情もあります。昔は「精神分裂病」という病名で呼ばれていました。いまは「統合失調症」に変わりましたが、名称が変わっても、古いイメージは簡単には消えない。過去に起きたショッキングな事件が、病名と結びつけられて語られ、何十年も引きずられる。たった一部の極端なケースが、全体像のように語られてしまう。これも“差別が温存される構造”だと思います。 じゃあ、どうしたらいいのか。僕は、結局ここも「接点」だと思っています。見たことがないから怖い。見たことがあれば、怖さは薄れる。 例として分かりやすいのは、性的マイノリティに対する社会の見え方です。昔に比べると、当事者の方がメディアに出る機会が増えました。そうすると、「特別に怖い存在」でも「異様な存在」でもなくて、ただ生活している一人の人だと分かる。もちろん課題がなくなったわけではないけれど、過剰な偏見は確実に薄まりました。 統合失調症も同じです。キラキラした成功談だけを求める必要はありません。むしろ、日常のリアルを、誤解なく伝えていくことが大事です。多くの方は暴れているのではなく、無気力や孤立、生活の立て直しに苦しんでいる。支援者も、家族も、社会も、そして本人も「どうせ無理だ」と諦めてしまいやすい。そこを、少しずつでも変えていきたい。 具体的には、薬物療法だけではなく、生活の支援、リハビリ、就労支援、家族支援、地域のつながりが重要になります。いきなりフルタイムで働けなくてもいい。まずは昼夜逆転を戻す、週に一度外に出る、誰かと短い会話をする、服薬を整える、体重と血糖を管理する。そういう“小さな積み木”を積んでいく。そして「できた」を一つずつ増やす。統合失調症の支援って、本当はそういう地道な作業の連続なんです。 医療の側も、総合病院に一定の精神科機能が残ることには意味があると思います。合併症への対応、身体治療との連携だけではなく、一般科の医療者が精神疾患に触れる機会を保つこと自体が、偏見の減少につながるからです。研修医のローテートや、リエゾンチームの充実、病棟スタッフへの教育など、「知らない」を減らす仕組みが増えるほど、現場の安全も上がるし、患者さんの尊厳も守られます。 もう一つ大事なのは、本人の中にも「自分は危ない人間なのかもしれない」「社会に迷惑をかけるだけだ」という自己スティグマが生まれてしまうことです。周りの目が冷たいほど、本人は外に出られなくなる。だから僕は、言葉遣い一つでも変えていきたい。誰かを指して「頭おかしい」とか、昔の言葉で「きちがい」とか、そういう雑なラベル貼りをやめる。それだけでも、世界は少しやさしくなると思います。もし医療者の方が見ていたら、ぜひ一度、統合失調症の方の“生活”を想像してみてください。怖さよりも先に、「この人は何に困っているのか」を聞くところから始めてほしいんです。 今日は、統合失調症がなぜ差別されやすいのか、そしてその多くが“無知”から生まれているのではないか、という話をしました。統合失調症の方を「危ない集団」と一括りにするのは、現実とも違うし、あまりにも酷い。大事なのは、病名ではなく、その人を知ること。そして、その人が“幸せに生きるための力”を、周りが一緒に増やしていくことだと僕は思っています。 最後にお知らせです。昨年8月27日、2025年8月27日に『希死念慮ちゃん』という本を出版しました。死にたい気持ち、生きているのがつらい気持ちを抱えている方に、必ず役に立つ“魂の本”だと僕は思っています。価格は1650円です。安いと言い切れないかもしれませんが、その価値は込めたつもりです。概要欄やサムネイルにも情報を載せておきますので、必要な方に届けばうれしいです。 そして僕は、毎日19時に動画を出しています。 今日の話が、明日からの見方を少しでも変えるきっかけになれば嬉しいです。必要そうな方がいたら、そっとこの内容をシェアしてあげてください。 それでは、また明日。さようなら。