【世界史】朝鮮王朝、位を追われた王と王妃7人はそのあと何年生きたか【歴史】
世界史の末路【解説】
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【世界史】朝鮮王朝、位を追われた王と王妃7人はそのあと何年生きたか【歴史】
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世界史の末路【解説】
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1455年、朝鮮王朝の端宗は叔父の首陽大君(世祖)に位を譲り、2年後に魯山君に降ろされて、寧越で17歳で亡くなりました。位を追われた王と王妃は、すぐに命を終えたと思われがちです。
ところが、15世紀から17世紀に位を追われた王と王妃から7人を並べると、追われてから亡くなるまでの年数は、端宗4か月・燕山君約2か月・光海君18年・張禧嬪7年に対し、王妃は慎氏31年・端敬王后51年・定順王后64年と大きく分かれます(『朝鮮王朝実録』と『韓国民族文化大百科事典』による)。
この動画では、1455年の譲位から1701年の張禧嬪の自尽までの246年を、7人ごとに、位を追われた年・与えられた呼び名・亡くなった年・享年でたどり、名誉が戻った年(いちばん遅くて1739年)まで追います。
今回の動画のポイント
・冒頭:位を追われた王と王妃7人、そのあとの年数
・第1章:1455年、端宗が位を譲った日(譲位・廃位・降封、王妃・夫人・嬪)
・第2章:端宗、魯山君に降ろされて4か月(「魯山君もまた、安らかに置いておけない」)
・第3章:燕山君と妃の慎氏、2か月と31年(中宗反正)
・第4章:光海君、島を移されて18年(仁祖反正と済州の囲籬)
・第5章:張禧嬪、嬪に戻されて7年(起点から246年後、「他日の慮り」)
・第6章:定順王后と端敬王后、64年と51年(名誉が戻ったのは死後)
・まとめ:「陵」と「墓」、284年後に戻った名誉
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寧越の荘陵・清泠浦、江華島や喬桐島、済州など、7人ゆかりの土地に残る伝えや行事、現地を訪ねた話があれば、コメント欄で教えてください。
▼目次
00:00 はじめに
01:36 端宗の譲位|1455年、慶会楼の下で
03:50 端宗|魯山君に降ろされて4か月
06:35 燕山君と慎氏|2か月と31年
09:37 光海君|島を移されて18年
12:39 張禧嬪|嬪に戻されて7年、起点から246年後
16:52 定順王后と端敬王后|64年と51年
20:00 まとめ 並べ直す|7人、2か月から64年
▼制作について
・ナレーションは合成音声です(VOICEVOX:青山龍星)。
・地図・年表・図は、上の資料をもとに本チャンネルで作成しました。効果音は本チャンネルで作成しました。
・人物・旗・印などのアニメの場面は、本チャンネルで描いたイメージです。人物の姿は肖像画をもとにしたものではありません。
▼訂正
・公開後に誤りが見つかった場合は、ここに追記します。
#世界史 #朝鮮王朝 #韓国史 #端宗 #燕山君 #光海君 #張禧嬪 #世界史の末路