Перейти к содержимому

曹操も劉備も、なぜ名前が一文字なのか?

役に立たない三国志

0:00 / 0:00

曹操も劉備も、なぜ名前が一文字なのか?

6 457 просмотров · 4 дн. назад
役に立たない三国志
371 подписчик
6 457 просмотров · 4 дн. назад
曹操、劉備、関羽、諸葛亮。三国志の人たちは、名字や呼び名はばらばらなのに、下の名前はそろって一文字です。 実は昔の中国で、二文字の名前が禁止されたことがありました。四文字の名前を一文字に縮めた王様や、罰として名前を二文字に戻された人まで出てきます。 ところが、その決まりを作った人はすぐに滅びます。それなのに、なぜ三国志の時代まで一文字が続いたのか。二人の案内役が、三国志に出てくる人の名前を数えて確かめます。 【チャプター】 0:00 曹操も劉備も、なぜ名前が一文字? 1:14 名字・下の名前・呼び名を分ける 2:53 昔は二文字の名前もふつうにいた 4:10 二文字の名前を禁止した人 5:56 罰として二文字に戻された孫 6:47 決まりが消えても一文字は続いた 8:42 二文字の名前が戻ってくる 9:16 私の答え 【このチャンネルについて】 「役に立たない三国志」は、三国志好きなら一度は気になるけど、わざわざ調べない疑問に決着をつける歴史コメディです。どうでもいい疑問をひとつずつ、本気で調べます。 【事実と創作について】 主要な歴史事実は、下記の史料に基づいています。案内役二人の会話・リアクション・比喩などの演出は創作です。人物への感想や評価は、史実と区別して二人自身の見方として話しています。歴史上の人物の発言は、記録に残る内容の現代語訳・要約であり、逐語再現ではありません。 人物の絵はこのチャンネルで用意したもので、肖像画や史料の絵ではありません。 【主要参考文献】 班固『漢書』(平帝紀・霍去病伝・司馬相如伝・匈奴伝下・王莽伝) 『春秋公羊伝』定公六年 陳寿『三国志』(武帝紀・先主伝・諸葛亮伝・関羽伝・方技伝ほか) 范曄『後漢書』(劉盆子伝) 房玄齢ほか『晋書』(王羲之伝) 顧炎武『日知録』巻二十三 【注記】 ・「二文字の名前を持ってはならない」という決まりは、前漢の終わり、王莽(おうもう)が実権を握っていた西暦2年ごろのものです。曹操や劉備の時代(三国時代)の法律ではありません。 ・冒頭の「日本人の下の名前は二文字が多い」は二人の実感として話しているもので、統計は調べていません。「翔太」「美咲」は例として挙げた名前です。 ・「昔の歴史の本」は『春秋』、「昔の学者」の説明は『春秋公羊伝』です。王莽の記録(『漢書』王莽伝)にも、同じ「二文字の名前を悪く言う」という言い方が出てきます。 ・匈奴の王(単于)のもとの名前は囊知牙斯(のうちがし)です。改名の話は『漢書』の匈奴伝と王莽伝に出てきます。同じころに名前を変えた皇帝は、前漢の平帝です。 ・王莽の孫は王宗(もとの名前は会宗)です。名前を二文字に戻されたのは、罪を得たあとのことです。「後の時代の学者」は清の顧炎武で、「後漢の人は二文字の名前が少ない」「兄弟の名前を偏でそろえるのは劉琦・劉琮から」も顧炎武が書いていることです。 ・「約250人のうち一人だけ」は、案内役が『三国志』の本文(注を除く)で、伝の書き出しに名前が出てくる人を数えたものです。呼び名(字)も書かれている234人は全員が一文字、書かれていない13人のうち二文字は朱建平だけでした。機械で拾って数えたので、取りこぼしがあるかもしれません。 ・三国志に二文字の名前の人が一人もいない、という意味ではありません。伝の書き出し以外には、郭攸之・鄭小同・馬日磾などが出てきます。王莽のすぐあとの時代にも、劉盆子のような二文字の人がいます。 ・王羲之の息子は七人いて、名前が知られているのは五人です。 ・「きっかけは王莽の決まり」「一文字のほうがちゃんとして見える、という格好つけが続いた」「周りから浮くのが怖かったのかも」は、案内役の見方です。なぜ一文字が続いたのかを直接書いた史料は、見つけられていません。 【音声】 VOICEVOX:夜語トバリ VOICEVOX:春歌ナナ