【江戸の藩士】足軽の子は、どこまで出世できるのか|給料・人数・身分の壁を全7段で検証
出世の階段
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【江戸の藩士】足軽の子は、どこまで出世できるのか|給料・人数・身分の壁を全7段で検証
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出世の階段
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将軍の家来ではなく、地方の藩の話です。舞台は加賀・能登・越中の三国で百万石、日本でいちばん大きな加賀藩。
あなたは足軽の家に生まれ、最初の給料は米20俵(約100万円)。
足軽、足軽小頭、御算用者並、御算用者、平士、物頭、そして人持と加賀八家まで。七段の階段を、一人の藩士の人生として、二人称で登ります。
ただし、最後の段には、生まれた家でしか座れない席があります。
00:00 足軽の家に生まれた少年の物語
00:38 レベル1 足軽
02:15 レベル2 足軽小頭
03:29 レベル3 御算用者並
04:40 レベル4 御算用者
05:53 レベル5 平士
07:09 レベル6 物頭
08:34 レベル7 人持と八家
▼この動画で使った数字(主な出典)
・身分ごとの人数(文化4年=1807年頃『帳秘藩臣録』): 八家8・人持68・平士1,202・与力291・御歩432・御歩並397・足軽およそ4,000(金沢市立玉川図書館近世史料館「『諸頭系譜』にみる藩士と諸役」展)
・加賀藩の1俵は5斗(0.5石)で、幕府の俵(3斗5升)より4割多い(松村敏 2010『商経論叢』45-4、典拠『金沢市史』通史編)
・平の足軽は切米20〜25俵、小頭は30〜35俵(同館「弓・鉄炮」展)
・天保8年(1837)の給料の借り上げ: 200石を超える家は半知、足軽は切米の1割(『加賀藩史料』第14編)
・天保10年(1839)の明倫堂の改革で、与力以下の家の子は月1回の講釈だけに。足軽の子は享和3年(1803)から月1回の枠(同館「加賀藩の学校」展)
・算用場の足軽が切米30俵で御算用者並になった例(文化年間)と、享保以来の足軽の列からの取り立て(湯浅祇庸『藩国官職通考』1932年刊)
・与力以下は藩主に御目見できず、知行取りは与力まで(同館「加賀藩侍帳」展)
・知行の手取りは約4割(平均の免39.3%)。100石の手取りはおよそ39石(松村 2010)
・知行取りの藩士でいちばん多いのは100石で319人(同館「加賀藩侍帳」展)
・文久初めの侍帳に「御算用者ヨリ」と書かれた平士が並ぶ(村松三佐男は安政2年に41歳で70石)(金沢文化協会『加賀藩組分侍帳』1937年刊)
・物頭の役料知は150石。平士1,202人のうち頭の役は153人(「諸頭系譜」展)。「物頭は…足軽大将とも申候」(『松雲公御夜話』)
・志村五郎左衛門は30俵5人扶持から宝暦11年に先筒頭、寛政3年に1,050石で人持の末席(「諸頭系譜」展)
・北越戦争の銃隊物頭・小川仙之助(同館 展示解説)
・大槻伝蔵は祖父が御鉄炮者(足軽)。石高は2,800石余(石川県史)とも3,800石(百科事典)とも
・明治3年、大参事らの一斉免官と、北川克由ら禄の低い実務の者の登用(同館 展示解説)
・加賀藩の足軽のおよそ7割が士族、残りは平民に(松村 2010)
換算は「1石=1両=10万円」で統一し、加賀の1俵は5万円で計算しました(諸説あり)。知行は手取りではありません。
物語部分は史実に基づく創作です。天保〜幕末に足軽の家から物頭まで上がった記録は、今回の調べでは見つかっていません。
※音声と画像の一部にAIを使用しています。
次に登りたい組織があれば、コメントで教えてください。