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剣闘士「死ぬまで戦う」は本当か?再現したら、負けた男が生きて帰れる理由があった|世界史の本当か

歴史トーク

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剣闘士「死ぬまで戦う」は本当か?再現したら、負けた男が生きて帰れる理由があった|世界史の本当か

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↓次の回、マラソンの「勝利を伝えて死んだ兵士」は本当かを確かめた動画はこちら    • 【絵で解説】マラソンの起源「勝利を伝えて死んだ兵士」は本当か?地図でたどったら…|世...   西暦80年ごろのローマ。完成して間もない円形闘技場で、2人の剣闘士が戦い続けていました。 「観客が親指を下に向ければ、負けた剣闘士は殺される」で知られる剣闘士の試合。ところが、ローマ時代の記録には、親指を「下に」向けたという言葉は出てきません。 では、負けた剣闘士の生き死には、本当は何で決まっていたのか。 円形闘技場と試合を絵で再現し、2世紀の法学者ガイウスが法律の教科書に書いた、剣闘士の貸し借りの例の数字から「死なせた時の支払い」を計算しました。 4回負けても生きた剣闘士フラマの墓碑、エフェソスの剣闘士の墓地、セネカが見た昼の見世物、詩人マルティアリスが残したプリスクスとウェルスの試合まで、史料と伝承を区別しながらたどります。 ■ 調べ方 主な数字と言葉はラテン語の原文(オンラインの翻刻)で、研究者の推定は論文の要旨と研究書の紹介で確かめました。後の時代の記録による話は「伝わります」と言い分けています。 ■ チャプター 0:00 序章 砂の上の2人 0:58 第一章 葬式の見世物 2:04 第二章 フラマの墓束 5:24 第四章 上げた指 6:34 第五章 闘技場の一日 8:43 終章 負けた男はなぜ生きて帰れたか ■ 出典(主なもの) ・ガイウス『法学提要』3.146(2世紀なかごろの法律の教科書。The Latin Library の翻刻で照合)。倍率は本作で計算。教科書の例で、実際の契約書ではありません ・フラマの墓碑(CIL X 7297。シチリア・パレルモで18世紀に記録。原本は失われている)。G. G. Fagan『The Lure of the Arena』ケンブリッジ大学出版、2011 ・ユウェナリス『風刺詩』3.34–37(「verso pollice=親指を返して」) ・マルティアリス『見世物の書』29(版によって31。プリスクスとウェルス) ・セネカ『書簡』7.3–5(昼の見世物)、37.1–2(剣闘士になる時の約束の言葉、観客の情けを求めること) ・スエトニウス『アウグストゥス伝』45.3(助命を許さない試合の禁止)、『カエサル伝』10、カッシウス・ディオ『ローマ史』66.25・68.15 ・元老院決議「剣闘士の値段を下げること」(177年ごろ。スペイン・イタリカの青銅板 CIL II 6278)。J. H. Oliver & R. E. A. Palmer, Hesperia 24, 1955 ・F. Kanz & K. Grossschmidt「Head injuries of Roman gladiators」Forensic Science International 160, 2006(エフェソスの剣闘士墓地) ・A. Futrell『The Roman Games』2006(G. Ville 1981 の死亡率の推定の紹介)、A. Corbeill「Thumbs in Ancient Rome」1997(親指の合図) ・ウァレリウス・マクシムス 2.4.7、リウィウス『要約』16(最初の剣闘士の試合)、プルタルコス『カエサル伝』5、『テオドシウス法典』15.12.1、テオドレトス『教会史』5.26ったこと) ・親指の合図の向き:「下に向ける」「上に立てる」「横に向ける」「握りこむ」と説が分かれ、記録からは決められません(A. Corbeill は、立てた親指を「殺せ」と見ます)。「下向き」の印象を広めたのは、J.-L. ジェロームの油絵《ポリケ・ウェルソ》(1872年)だと考えられています。 ・プリスクスとウェルスの試合の皇帝:80年に闘技場を開いたティトゥス帝とする説と、その弟ドミティアヌス帝とする説があります。観客が2人の助命を求めたのは、この日の試合の話です。昼の処刑では、観客が「殺せ、打て、焼け」と叫んでいたとセネカは書いています。 ・負けた剣闘士が死ぬ割合:1世紀ごろ約5人に1人、のちの時代に約4人に1人という推定(G. Ville の研究を A. Futrell が紹介)。Ville が墓碑から出した数字(平均の死亡年齢など)には、墓碑を残せなかった多くの若い剣闘士が抜けているという異論もあります(M. Junkelmann)。 ・エフェソスの墓地では、治った頭の傷が11人に、死んだころの頭の傷が10人に見つかり、研究者は後者を「とどめの一撃」で説明できるかもしれないとしています。 ・ガイウスの「20デナリウスと1000デナリウス」は法律の教科書の例です。ガイウス自身は、無事に返した分を「賃貸」、死んだり体を損なったりした分を「売買」と説明しています。 ・177年の値段の上限(最上位の剣闘士で1万5千セステルティウス=3750デナリウス)は、研究者(J. H. Oliver と R. E. A. Palmer)が剣闘士を貸し出す値段と読んでいます(ほかの読み方があるかは確かめていません)。ガイウスの「20デナリウス」は教科書の例の数字で、この上限と直接は比べられません。 ・最初の試合が「3組」だったという話は、4世紀の詩人アウソニウスの記述によります。トラヤヌス帝の「1万人」と、闘技場の完成を祝う「100日」の見世物は、カッシウス・ディオの記述によります。 ・修道士テレマコスの話は5世紀のテオドレトスの『教会史』によるもので、年(404年とされる)ははっきりしません。 ※闘技場と試合は作画による再構成です(大きさ・客席は概略)。 ※人物・場面は作画による再構成です。墓碑・青銅板・頭の骨の図は本作による再構成で、原本の写真ではありません。 ※地形データ:Terrain Tiles(Mapzen/AWS Open Data https://registry.opendata.aws/terrain... )。Europe terrain data produced using Copernicus data and information funded by the European Union - EU-DEM layers. SRTM and GMTED2010 terrain data courtesy of the U.S. Geological Survey. ※地図データ(テヴェレ川・コロッセオの形・エフェソスの建物の配置):© OpenStreetMap contributors(Open Database License) https://www.openstreetmap.org/copyright